昨日いただいたレーズンバターサンドを
口にしたとき、
なぜだろう。
ふっと、
横浜十番館のビスカウトが浮かんだ。

紹介の紙を読んだからではない。
まず、食べた瞬間だった。

レーズンバターサンドは、
クッキー生地がずいぶん厚い。
その厚みのある生地に、
クリームが控えめに挟まれている。

そういえばビスカウトもそうだった。
ビスケットと呼ぶにはずいぶん存在感のある、
厚い生地。
そして、その間に薄く挟まれたクリーム。
形までどこか似ている。

だから、ひと口食べた瞬間、
離れたところにあった二つのお菓子が、
私の中で
すっと隣り合わせになったのだと思う。

どちらも甘さは控えめ。
口いっぱいに甘さが押し寄せるのではなく、
さらりとした甘みの向こうから、
生地そのものの味がやってくる。
素朴で、懐かしい。

レーズンバターサンドには洋酒の香りがあり、
そこだけ少し大人びた表情を魅せてくれる。

ビスカウトには、
レモン、ピーナッツ、
チョコ、ホワイトチョコ。
まだすべてを食べたわけではないけれど、
私はどうやら、
クリームよりも生地を味わいたいらしい。

チョコレートの存在感が強いものより、
レモンのような軽い味の方が、
このお菓子本来の素朴さが
よくわかる気がした。

そして二つに共通して感じたものが、
もうひとつある。
人の手の温度。
今風に華やかに飾られたスイーツではない。
どこか不器用なくらいしっかりした生地と、
控えめなクリーム。

その佇まいを魅ていると、
古い洋菓子店の厨房で、
ひとつひとつ
丁寧に作られているような
情景が浮かんでくる。

そして、そこから私の心は、
今の横浜を離れていった。

山下町70番地。
レーズンバターサンドに添えられていた紙には、
この場所がかつて居留地70番と呼ばれ、
洋式ホテルや洋食、
洋菓子にまつわる横浜の歴史が記されていた。

その文字を追っているうちに、
十番館の煉瓦造りの佇まいまで重なってきた。

二つのお菓子を結んでいたのは、
味だけではなかったのだ。
その場所に吹いている、
時代の風だった。

目を閉じる。
文明開化の頃の横浜。
洋装の女性が、
少し背筋を伸ばして、
洒落たカフェへ入っていく。

テーブルに置かれるのはコーヒーではなく、
紅茶。
その横に、
ビスカウトやレーズンバターサンドのような
焼菓子が小さく添えられている。

今なら気軽に買える洋菓子も、
あの頃はきっと、
誰にでも手の届くものではなかった。
西洋への憧れ。
新しい文化へのときめき。
イギリスの貴族が楽しむ
ティータイムを思わせるような、
少し特別で、少し背伸びをした時間。

一枚のお菓子の向こうに、
そんな世界が見えてくる。
そして心の旅は、
また今の横浜へ戻ってくる。

十番館。
勝烈庵。
煉瓦の街並み。
港から入ってきた異国の文化。
今、何気なく歩いている道の下には、
いくつもの時代が重なっている。

それを教えてくれたのが、
昨日いただいた
一枚のレーズンバターサンドだった。

お菓子とは不思議だ。
味わうものなのに、
時には時代まで連れてくる。

香りを嗅いだだけで、
食感を感じただけで、
知らないはずの昔の街へ
心を運んでくれる。

だから私には、
レーズンバターサンドもビスカウトも、
ただの懐かしい洋菓子には見えない。

小さな焼菓子の中に、
昔の横浜の風がまだ残っている。

そう。

私にはこの二つが、
文明開化の香りを残すお菓子に
見えたのだった。

焼菓子に
時代の風を
忍ばせて
紅茶の香り
港へ還る

— Morimura