秋は、実りの季節である。

山には山の実りがあり、
海には海の実りがある。
そして、日本語というものは、
時として、なんとも愉快な偶然を
私たちに用意してくれる。

「柿」と「牡蠣」どちらも「かき」

一方は木に実り、
もう一方は海に育つ。

片や鮮やかな橙色。
片や硬い殻に包まれた乳白色。

姿も、生まれ育つ場所も、
味わいも、まるで違う。

それなのに、
口にすれば、どちらも「かき」
なんとも不思議な取り合わせではないか。

以前、七十二候の随筆で、
正岡子規の有名な一句に触れた。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」

秋の静けさの中、
柿をひと口食べた、そのとき。
遠くから鐘の音が聞こえてくる。
柿の甘みと、古寺の鐘の響き。
味覚と聴覚がひとつになって、
秋という季節を描き出している。
なんと風情のある一句だろう。

もっとも、私自身はというと、
昔から柿がそれほど得意ではなかった。
嫌いとまでは言わないけれど、
自分から進んで食べたいと思う果物でもない。

ところが先日、
食事に出かけた折、
デザートに出された柿を口にして、
思いがけず、その美味しさに驚いた。

あら、美味しい。

旬のものには、
やはり旬ならではの味わいがある。
今まであまり好まなかったものでも、
季節が運んでくれたひと口によって、
印象が変わることもあるのだ。

子規が柿を食べて鐘の音を聞いたなら、
私は柿を食べて、
心の中で小さな鐘を鳴らしたのかもしれない。

さて、もうひとつの「かき」
こちらは、牡蠣である。
柿には少々縁遠かった私だが、
牡蠣となれば話は別。

生牡蠣も、牡蠣フライも、
実に美味しい。
以前、牡蠣そばと牡蠣フライをいただき、
ひとり牡蠣三昧を楽しんだこともある。

そして忘れられないのが、
牡蠣小屋での光景である。
2年ほど前に訪れた牡蠣小屋では、
狭い作業場にエプロン姿の女性たちが並び、
次から次へと牡蠣の殻を外していた。
その手際のよいこと。

足元には、
外された殻が山のように積み重なっている。
海の恵みを食卓へ届けるために、
人の手が休むことなく動いていた。
あの光景は、
今でも鮮明に覚えている。

そして先日の牡蠣の食べ放題。
生牡蠣に加えて、
人気No.1という
「ガンガン鉄板焼き」まで
存分に堪能した。気がつけば、
殻を入れる青い大きなバケツが、
あふれそうになっていた。
我ながら、よく食べたものである。
少々食べ過ぎたかしら。
そんな反省もしたけれど、
幸い、翌日に二日酔いをすることもなかった。

もっとも、
これは牡蠣のおかげなのか、
単なる私の体質なのか。
そこは、いまだに謎である。

さて、ここで再び子規の一句。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」では、
牡蠣を食べたら、
いったい何が鳴るのだろう。
鐘ではない。
牡蠣の殻が、
カラン、コロン。
次々とバケツに落ちていく音。
静寂に包まれた古寺の鐘と、
活気に満ちた牡蠣小屋の殻の音。
同じ「かき」を食べているというのに、
なんという違いだろう。

ひとつは風流。
もうひとつは豪快。

ひとつは静けさを味わい、
もうひとつは賑わいを味わう。

けれど、
どちらにも共通するものがある。
それは、季節をいただくということ。

柿は、春に芽吹き、
夏の陽射しを浴び、
秋になってようやく実を熟させる。

牡蠣は、海の中で育ち、
冷たい季節へ向かう頃、
その豊かな味わいで食卓を彩ってくれる。

山と海。
陽射しと潮の流れ。
木の枝と硬い殻。
まったく異なる世界に生まれながら、
どちらも自然の営みの中で、
時を重ねている。

そして私たちは、
その長い時間を、
ほんのひと口でいただいているのだ。

そう思うと、
食べるという行為も、
なかなか奥深いものに感じられる。

ところで、
漢字というものも面白い。
「柿」は木偏。なるほど、
木になる果実なのだから、
まことにわかりやすい。

では「牡蠣」はどうか。
こちらは「牡」と「蠣」。
同じ読み方でありながら、
文字の姿までまるで違う。

日本語は、
音だけでは語り尽くせない世界を
文字の中に隠している。
もし、ひらがなで
「かきが好きです」と書いたなら、
読む人はどちらを思い浮かべるだろう。

橙色の果実か。
それとも、海のミルクか。

ちなみに私の場合、
迷うことなく牡蠣が先に浮かぶ。
やはり食いしん坊なのだろうか。

けれど、
今年の秋は少し違う。
これまであまり得意でなかった柿にも、
新しい美味しさを教えてもらった。

好きだったものを、
ますます好きになる喜び。
そして、
好きではなかったものを、
新しく好きになる喜び。

どちらも、
人生の小さな実りなのかもしれない。

思えば、人の心にも、
山のような静けさと、
海のような賑わいがある。

ひとり静かに季節を味わう日もあれば、
美味しいものを前に、
ついつい夢中になってしまう日もある。

どちらがよいということではない。
その時々の心に寄り添いながら、
自然が差し出してくれる恵みを
素直に楽しめばよいのだろう。

秋は、実りの季節。
山から届いた柿。
海から届いた牡蠣。
同じ音を持つ二つの味覚が、
私に教えてくれたのは、
季節の豊かさだけではなかった。

知っているつもりのものにも、
まだ知らない美味しさがある。
そして、
何度味わっても、
新しい喜びがある。

さて。次に「かき」をいただくとしたら、
どちらにしよう。

風情を楽しむなら、柿。
食欲を満たすなら、牡蠣。

うーん。どうやら私の心の天秤は、
まだ少し海の方へ傾いているらしい。

子規先生。
秋の風情を語っておきながら、
最後は食欲に負けてしまいそうです。
それでも、よろしいでしょうか。

柿くへば、鐘が鳴るなり。
牡蠣くへば、心が躍る。

同じ「かき」に、二つの秋。
なんとも美味しく、
なんとも愉快な、
日本語の贈り物である。

— Morimura