先日、蕎麦をいただいた。
箸で蕎麦を持ち上げたとき、
ふと、昔読んだ一冊の本を思い出した。

『蕎麦屋酒』

蕎麦を食べるために蕎麦屋へ行く。
それは、ごく当たり前のこと。
ところが江戸には、
蕎麦を食べる前の時間を、
酒とともに楽しむ文化がある。

「蕎麦前」である。

そういえば、
初めて東京で蕎麦を食べたときのこと。
関西で見慣れたつゆとは違う、
濃い醤油色に思わず
「やっぱり!」と心の中で声を上げた。
蕎麦も、
ふんわり柔らかな口当たりというより、
きゅっと引き締まり、
噛むほどに存在を主張する。

土地が変われば、
同じ蕎麦もこんなに表情を変えるのか。
その違いが、妙に嬉しかった。

関西では、蕎麦屋といえば、
うどんも蕎麦もある
身近な食事処という印象が強かった。
ところが東京では、
「蕎麦屋でちょっと一杯」という言葉を
耳にした。
食事の場所であると同時に、
仕事を終えた人が、
ほんのひととき 
肩の力を抜く場所でもあるらしい。

その話がずっと心に残っていたから、
『蕎麦屋酒』という本を見つけたとき、
思わず手が伸びたのだ。

やがて知ったのが、江戸の蕎麦屋酒。
まずは板わさ。
次に焼き味噌や焼き海苔。
出汁巻き玉子をつまみながら、
酒を少しずつ楽しむ。

「天抜き」という粋な一品もある。
天ぷら蕎麦から蕎麦だけを抜いた、
天ぷらとつゆの料理だ。
何も、豪華なご馳走を
ずらりと並べる必要はない。

蕎麦屋にある材料で、
さっと一皿。
酒も肴も、ほどよいところで切り上げる。
そして最後に、蕎麦をたぐる。
蕎麦湯が運ばれてくれば、静かな余韻が残る。

この流れを本で読んだとき、
私は思わず舞台を連想した。
酒肴はプロローグ。
蕎麦がフィナーレ。
蕎麦湯はアンコール。
酒は、主役と脇役を結び、
場面を滑らかに進める名脇役なのかもしれない。

酔うことだけを目的にするのではない。
食べる順序にも、
席を立つ頃合いにも、
ちょっとした美意識が宿る。
これぞ、江戸の粋。

そこには、酒を何杯飲んだか、
何品食べたかを競うような気配はない。
むしろ、少ない肴を丁寧に味わい、
蕎麦を食べ終えたら長居をせずに席を立つ。
余韻まで含めて、一つの楽しみなのだろう。

「いつか私も」と思いながら
読み進めたあの本は、
単なる食べ歩きの案内ではなく、
江戸の暮らし方を教えてくれる本でもあった。

では、京はどうだろう。
私が京の蕎麦と聞いて
真っ先に思い浮かべるのは、にしんそば。

上品な出汁に、
甘辛く炊いた身欠きニシンが一本。
その上に、ほんの少しの刻み葱。
見た目の華やかさで
人を驚かせようとはしない。
けれど、箸を進めるほどに、
味の奥行きが現れてくる。

淡い出汁に、
ニシンの旨味と脂がゆっくり溶け合う。
蕎麦の素朴な味わいと、
甘辛いニシンの力強さ。
相反するようでいて、
不思議なほどに調和する。

にしんそばが京都で生まれたのは、明治15年。海から離れた都で、
大切な保存食だった身欠きニシンを、
蕎麦とひとつにした工夫から生まれたという。

その一杯には、
華やかな都の表通りだけでは見えない、
日々の暮らしの知恵が息づいている。
海のない都に届いた北国の魚。
それが保存食となり、
京の出汁と出逢い、
蕎麦の上で新しい料理に生まれ変わる。

食材というのは不思議なものだ。
生まれた土地を離れても、
別の土地の味と出逢うことで、
新しい故郷を持つことがある。
にしんそばは、その好例なのかもしれない。

私は以前、にしんそばを食べながら、
こんなことを思った。
蕎麦もニシンも、
どこか「渋さ」という美に
徹しているのではないか、と。

目立つ味だけが、心に残るわけではない。
異なるものが折り合い、
互いの持ち味を深めていく。
そこに感じるのは、京の侘び寂び。

さて、ここで東西対決。
江戸は、酒肴から蕎麦へと向かう時間の美学。
京は、蕎麦とニシンが一つの器で重なる
味の美学。
江戸には、引き際の粋がある。
京には、染み入るような余韻がある。
どちらが上かと尋ねられても、困ってしまう。

そもそも、江戸には江戸の食べ方があり、
京には京の工夫がある。
これを対決と呼ぶのは、
少々乱暴かもしれない。

けれど、こうして並べてみると、
ふだん当たり前に口にしている一杯から、
その土地ならではの美意識が浮かび上がる。
それが、何とも面白い。

なぜなら、比べているうちに気づいたのだ。
同じ蕎麦を味わいながら、
私は江戸では「時間」を、
京では「調和」を楽しんでいるのだと。

そう考えると、蕎麦一杯の向こうに、
土地の歴史も、
人の暮らしも、見えてくる。

もっとも、
最後に自分の箸がどちらへ向かうかといえば……。

ふふっ。

にしんそば好きの私は、どうやら京へ一歩。

けれど、江戸の蕎麦屋で粋に一献、
という夢も捨てがたい。
勝負はつかず。
東西対決は、
どうやら次の一杯へ持ち越しとなりそうだ。

— Morimura