4:56、歩き始めた。
予定通り4:30に起きた。

昨夜眠りについたのは1:30頃だったから、
睡眠時間はおよそ3時間。
まだ少し頭が重たい。

けれど、外へ出ると、
風さんが早速迎えに来てくれた。
ふわり、ふわり。
髪の間を通り抜ける風が、
まるでシャンプーをしながら
頭を洗ってくれているみたい。

身体のまわりにも風がまとわりつき、
今度は身体まで洗ってくれているようだった。
気持ちいいな。
頭の中に残っていた眠りまで洗い流され、
心の中にも少しずつ風が通り始めた。

ウォーミングアップのストレッチをする前、
いつもの建物と建物の間から見える
小さな空を見上げた。
水墨画みたい。

なぜ、そんな言葉が浮かんだのだろう。
雲が広がり、その下には山。
その裾には海なのか湖なのかわからない
水辺が静かに広がっている。

空、山、水。たった三つだけ。
色らしい色もなく、
墨一色の濃淡だけで描かれたような、
とてもシンプルな景色だった。

そういえば、夢を見ていた。
けれど、何の夢だったのか思い出せない。
以前、本で読んだことがある。
眠っている間、
脳は一日に抱え込んだたくさんの情報を
整理していて、
その過程で残像のようなものが
夢として現れることがあるのだと。

今朝見た夢にも、
色がなかったような気がする。
もしかしたら、この水墨画のような空は、
さっきまで見ていた夢の続きなのだろうか。
そんなことを考えながら、
もう一度空を見上げた。

不思議だったのは、
何かが描かれているところより、
何も描かれていないところの方が
気になったこと。
余白だった。

私だったら、ここに木を描くかな。
草も描こうか。
花があってもいいかもしれない。
そして、少し色もつけて……。
けれど、心の中で一つ、
また一つと描き足していくほど、
なぜか息苦しくなっていった。

違う。
この絵には、何も描かなくていいんだ。
何もないからこそ、
そこには空気が流れている。

そう思った瞬間、昨日見た景色を思い出した。
ところどころに背の低い木があり、
その隙間が、
まるで小さなのぞき窓のように
向こう側へ開いていた。
何もない空間が、
かえって景色に風を通しているように感じた。

今朝の水墨画も同じなのかもしれない。
何も描かれていない余白。
そこに、目には見えない風さんがいる。
ふわり。
また風さんがやってきた。
髪を洗い、
身体を洗い、
今度は心の中まで通り抜けていく。

ああ、そうか。
なんでもかんでも詰め込まなくていいんだ。
心にも余白をつくって、
風通しをよくしておけばいい。
何もない場所は、寂しい場所ではない。
新しい景色が入ってくる場所。
新しい発見が生まれる場所。
そして、まだ知らない出逢いを
迎え入れる場所。

朝一番に見た水墨画は、
ただの空ではなく、
今朝の私の心が
空に映し出したものだったのかもしれない。

そして明日の朝、私は帰る。
だから今日は、
しばらく続いた横浜での朝歩きの、
ひとまず最後の朝になる。

そう思うと、毎朝見ていた
空も、
木々も、
海も、
街も、
いつもそばにいてくれた風さんも、
今日はいつも以上にいっぱい拾って、
心に留めておきたいと思う。

でも、これは終止符ではない。
23日、24日、25日。
三日分だけ、横浜の朝に休符を置く。
音楽にはないけれど、
私だけの「三分休符」

だから今日は、ゆっくり歩こう。
いっぱい見て、
いっぱい感じて、
いっぱい拾おう。

けれど、心をいっぱいにはしない。
ちゃんと余白を残しておこう。
風さんが通り抜けられるくらいの、
心の余白を。

そして三分休符の、その先から、
また新しい旋律が始まる…