心のサンクチュアリーの後ろに広がる芝生。
その日陰に仰向けになり、
11日間の横浜ステイで心に響いたことを、
ゆっくり日記に綴っていた。
最後に、
「一日の始まりは、
心のサンクチュアリーから」そうタイトルをつけて、日記をアップした。

いつもなら、
ここから心の奥へと続く階段を目指すところ。
けれど今日は土曜日。
パン屋さんが開く8:00まで、
まだ30分ほどある。
だったら、もう少しだけここにいよう。

芝生の上で大の字になったまま、
何も考えず、
ぼーっと空を眺めてみる。
そうしているうちに、
心の中に、
ぽつりぽつりと言葉が浮かんできた。



「雲」
モコモコ、モコモコ。
小さな粒のような雲。
モワ、モワ、モワ。
その向こうには、
大きく膨らんだ雲。
さらに遠くには、
空の果てまで埋め尽くしてしまいそうな
大きな、大きな雲。

同じ空なのに、
ひとつとして同じ形がない。

仰向けになって、
ただ、ぼーっと眺めている。

ふっと手を伸ばせば、
届きそう。

もしもあれが綿菓子だったら、
お腹の空いた私は、
ひょいっと一つつまんで
口の中へ放り込んでしまうだろう。
きっと、甘い。

雲と雲の間を、
風が通っていく。
私の風さんも、
あそこにいるのかな。

少しずつ、
少しずつ、雲を運んでいく。

だから、
今見ている空には
もう二度と逢えない。

今朝、まだ太陽が目を覚ます前、
雲は水墨画の中にいた。

やがて朝の光が差し込み、
ピンクゴールドの色をもらった。

太陽が昇れば、
白銅色に輝いた。

そして今。太陽を覆った雲は、
真っ白。
でも、白は一色ではなかった。
濃い白。
薄い白。
影を抱いた白。
そして、今にも空へ溶けて
消えてしまいそうな白。

なんだか、人の世みたい。
現れて、形を持って、
そしてまた形を変えていく。
うたかたの夢。

あの雲の中へ入ってみたい。
白い雲を、
ひとひら、ひとひら、
かき分けて、もっと奥へ。
もっと奥へ。
その向こうには
何があるのだろう。何が見えるのだろう。

できることなら、風になってみたい。
雲と雲の間をすり抜け、
空いっぱいを駆け巡りたい。

きっとそれは、
夢の中か、
心の中でしかできない旅。

それでも、雲を見つめながら思う。
私も雲のようでありたい。

その時々で姿を変えていい。
色を変えていい。
風に身を任せるときがあってもいい。

けれど、ただ流されるのではなく、
自分が向かいたい空を
ちゃんと魅つめながら。

形を変え、
色を変え、風と一緒に。

ゆっくり、ゆっくり、私の空を
流れていこう。



そんなふうに、
私はすっかり雲の世界へ入り込んでいた。
風になって雲の間をすり抜け、
どこまでも、どこまでも空を飛んでいた。

そのときだった。
突然、現実の世界から声が飛んできた。
「ここは立ち入り禁止です。
すぐに出てください」
えっ?

仰向けになったまま声の方を見ると、
そこには警備員さん。

立ち入り禁止?
知らなかった。
慌てて起き上がり、辺りを見回した。
……あった。
低いけれど、
ちゃんと柵が張り巡らされている。
そして、小さな「立入禁止」の看板まで。

全然気づいていなかった。
いつもはほんの少し
腰を下ろす程度だったから、
注意されることもなかったのだろう。

けれど今日は、大の字になって、
ずいぶん長いこと雲の世界を旅してしまった。

「ごめんなさい」心の中で謝りながら、
そそくさと柵の外へ。

ついさっきまで、風になって、
雲をかき分け、
どこまでも自由に空を飛んでいた私。

現実の世界に戻ってみれば――
そこには、ちゃんと柵があった。

どうやら心には柵がなくても、
世の中には柵があるらしい。

雲の旅、強制終了。
私は地上へ戻ってきた。