家族との朝の時間は、
決してゆっくりではなかった。
けれど、短い中にも中身の濃い時間を
過ごすことができた。

今日の予定を大まかに話しながら、
「18時ぐらいには戻れると思うから、
昨日話していたとんかつ屋さんに
ご飯を食べに行こうか」なんて話もした。

話したいことは、まだまだいっぱいあった。
けれど時間がなくて、
久しぶりにご飯を
かけ込むように食べたものだから、
お腹はすっかり満員御礼。

体は動いているのに、
お腹だけが「もう無理」と
バタンと倒れてしまったような感覚だった。
だからといって、
倒れたお腹を
無理やり起こすわけにもいかない。

仕方なく、その重たいお腹を
ずるずる引きずるようにして、
自分の支度へと入った。
こんな感覚、朝そば以来ではないだろうか。
そう思うと、
あれだけ夢中になっていた朝そばが、
なんだか懐かしく思えてきた。

毎朝のようにこだわっていたものを、
ある日ふっと手放した。
けれど、手放してみれば、
不思議なくらい心は自由だった。

時間というものも、
同じなのかもしれない。
自由にできる朝もあれば、
どうしても自由にはならない朝もある。
そして今日の朝は、
ここから「自由ではない時間」
の始まりだった。

本当なら8:30には自宅を出るつもりだった。
ところが、気がつけば30分遅れ。
あらら。
それでも、慌てない。
慌てない。

もちろん、
決められた時間にはきちんと間に合わせたい。
けれど、
今からどれだけ頑張ったところで、
10時に会社へ戻るのはギリギリか、
もしかしたら少し難しい。

時間というものは不思議だ。
まだあと2時間、3時間あるうちは、
「急げば何とかなるかもしれない」
そんな淡い期待を抱いてしまう。
だから、「遅れます」と連絡することを、
どこかでためらってしまう。

けれど、残された時間が 
あと40分しかないと分かれば話は別だ。
定例会へ行き、会議に参加し、
そこから会社へ戻る。
頭の中で計算すれば、
どう考えても間に合わない。
すると不思議なほど、
すんなりと「遅れます」と言えるようになる。

同じ言葉なのに。
心の持ちようひとつで、
言いやすくもなり、
言いにくくもなる。人
の心とは、本当に不思議なものだと思う。

ということで、
定例会から戻ってからの社内会議には、
「10分ほど遅れます」と伝えた。
でも、たぶん20分くらい遅れるかな。
そんなことを考えながら歩いていた。

本当なら、朝のウォーキングから
30分早く帰ればよかった。
分かっていた。
けれど私は、あと30分、
日記を書いていたかった。
今朝、心に響いたこと。
心の中で見た風景。
それを、消えてしまう前に
言葉として残したかった。
その30分を選んだから、
今こうして時間に追われている。

けれど、その30分で文章を書き上げたとき、
私の心は確かに満たされていた。
だから、それでよかったと思っている。
自分で決めて、
自分で選んだ30分なのだから。

その後に生まれた遅れは、
自分で責任を持って整えればいい。
時間に遅れたことを
正当化したいわけではない。
ただ、何を選んだのか。
なぜそれを選んだのか。
そのことを、
自分自身がちゃんと分かっていることが
大切なのだと思う。

さあ、今日は会議が終われば、
そのあとはいつもの昼食会。
12時から13時頃まで。
さて、今日のメニューは何だろう。
そんなことを考えながら、
昨日からずいぶんとバクバク食べ続けていた、
少し贅沢なご馳走たちのことを
思い出していた。