私が初めて
「カヌレ」というお菓子を知ったのは、
いつの頃だったろう。

ずいぶん前、東京へ出張に行った
帰りのことだった。

同行していた上司に、
「ちょっとお土産を買うから付き合って」
と言われ、
ふらりと立ち寄ったお店。
そこで上司が手にしていたのが、
私にはあまり見覚えのないお菓子だった。

丸い台座のような、少し不思議な形。
ちらりと名前を見ると、
「カヌレ」と書いてある。
カヌレって、なんだろう。
そう思いながらも、
「結構おしゃれなものを買うのね」
と思ったことだけは、
なぜか今でも覚えている。

そのときは、それだけだった。
名前を知っただけ。
味も知らない。
どんな食感なのかも知らない。

そして長い時間が流れたある日、
コンビニのスイーツコーナーで
偶然「カヌレ」という文字を見つけた。 

あ。

あのときの。

東京出張の記憶が、ふっと戻ってきた。
早速買って食べてみた。
ひと口。
なんだろう。
甘い、より先に——硬い。
そして噛むと、もちっ。
外側にはしっかりした歯応えがあるのに、
その内側には不思議なくらい、
もちっとした食感が隠れている。

その感触に
私はすっかり心を奪われてしまった。
あとから、じんわりと甘みが広がってくる。
でも、くどくない。
ほどよい甘さ。
そうか。
私、こういうものが好きなんだ。

サンドイッチなら、耳付きが好き。
パンなら、 少し硬めのフランスパンや
ベーグル、マフィン。
和菓子だって、ただ柔らかいものより、
もちっとしたお餅とこし餡が
一緒になったものが好き。

硬め。
もちもち。
どうやら、
この二つは昔から
私の「好き」の中にいたらしい。
カヌレは、そこへ見事にはまった。

それからというもの、
コンビニでカヌレを見つければ
買うようになった。
面白いことに、
お店によって味が少しずつ違う。
外側の硬さも、中のもちっと感も違う。

調べてみると、
どうやらフランス・ボルドーに伝わる
伝統菓子らしい。
そうか。
フランスの風ね。
そう思うと、あの小さなお菓子が、
少し遠い国から
風に乗ってやってきたように思えた。

デパートのイベントコーナーや
洋菓子売場でも、
カヌレを見つけると立ち止まるようになった。
そこに並んでいるカヌレたちは、
コンビニのものとはまた違う。

色鮮やかなもの。
ポップで可愛らしいもの。
ちょこんと飾りをのせたもの。
まるで小さなショートケーキのように、
それぞれがおしゃれをして並んでいる。
見ているだけで楽しかった。

パン屋さんでも、見つければ買った。
でも、そんな中で
私が一番よく食べていたのは、
意外にもファミマのカヌレだった。
理由のひとつは、
たぶんカロリーが比較的控えめだったこと。
そしてもうひとつは、
余計なお化粧をしていないような、
素朴でシンプルな味わいだったこと。

気がつけば、
毎日ホテルへ向かう途中で
ファミマを覗くようになっていた。
ないときには、
お店の方にお願いして
取り置きまでしてもらったこともある。
今となっては、なんだか懐かしい。

そんな話をしたことのある方が、
「何軒かファミマを回って探したけれど、
なかった」
と話してくださったこともあった。
そして昨日。
その方から、
カヌレ専門店の詰め合わせをいただいた。

イエローとベージュの、
すっきりしたツートンの箱。
蓋を開けると、
中は五つに仕切られていて、
小さなカヌレが一つずつ並んでいた。

プレーン。
ピスタチオ。
キャラメル。
フランボワーズ。
抹茶。

なんて可愛いんだろう。

小ぶりな五つを眺めているうちに、
なんだか五人の子どもたちに魅えてきた。

バスの座席にちょこんと座って、
ある子はリボンをつけてもらい、
ある子は帽子をかぶせてもらい、
ある子は髪飾りをつけてもらって。

みんな少しずつおしゃれをして、
「遠足、まだかな」と出発を待っている。
そんなふうに魅えてしまった。

昨日は少し飲んで、食べて、弾けすぎた。
お腹も少々お疲れ気味。
だから今日の月見マフィンはお休みして、
この小さなカヌレをいただくことにした。

さて。

五つのうち、どれにしよう。

しばらく眺めていたけれど、
やっぱり最初はプレーンでしょう。

一番左端のひとつを取り出す。

ひと口。

パリッ。

外側の音が、
口の中だけでなく心にまで響いた。
そして、そのあとに、

もちっ。

パリッ。

もちっ。

パリとモチが、口の中で響き合う。
おいしい。
やっぱりカヌレはおいしい。

添えられていたリーフレットを読むと、
ここのカヌレは、
味ごとに生地から仕込み、
それぞれ違った味わいになるよう
作られているらしい。

それを読んだら、困った。
一個でやめようと思っていたのに。
生地から違うというのなら、
もう一つ確かめたくなるではないか。

さて。

抹茶か。
ピスタチオか。
どちらも緑。

しばし迷った末、
そのときの私の心はピスタチオを選んだ。

では。ひと口、いただきます。

サクッ。

もちっ。

食感はそのまま。
そこへ、ピスタチオの香りがふわりと重なる。
そして確かに、
プレーンとは生地そのものの味が違う。
口の中に広がる香ばしい風味。
噛むほどに、
ピスタチオの余韻が残っていく。

ああ、おいしい。
サクモチの食感と、ピスタチオの香り。
それが口の中から、
ゆっくり心へ染み込んでいくようだった。

もう一個——。

いやいや。今日はここまで。

箱の蓋をそっと閉める。

続きは、明日。

それでも口の中にはまだ、

ピスタチオの余韻が残っていた。

たった一つの小さなお菓子。

なのに、
どうしてこんなにも心が動くのだろう。

朝陽を見たとき。
空を見上げたとき。
雲の形に立ち止まったとき。
海が光ったとき。
風が頬を撫でたとき。
そんな大いなる自然に心が震える瞬間と、
どこか同じだった。

感動の大きさは、
ものの大きさでは決まらないのかもしれない。

小さなカヌレひとつにも、
ちゃんと心が立ち止まる場所がある。
今日の甘味の寄り道にも、
小さな感動のシーンがひとつあった。 

パリッ。

もちっ。

そして、ふわりと残るピスタチオの香り。

私はきっと、この味わいもまた、
心のポケットのどこかへ、
そっとしまっておくのだろう。

小さき菓子
ひと口ごとに
風ひらき
甘き余韻を
心にしまふ

— Morimura