心をならした、その先にあるもの。
たぶん私は、
ずっと「心を磨く」ということを考えていた。
磨く、と言うと、
もっと立派になることのように聞こえる。
強くなること。
賢くなること。
何事にも動じない人になること。
でも今朝、
大さん橋を歩きながら思った。
そうじゃないのかもしれない。
心を磨くというのは、
心を固くすることではない。
腹が立たなくなることでも、
悲しくならなくなることでもない。
心は、ちゃんと揺れていい。
言葉ひとつで、
小さなさざ波が立つ日もある。
思い通りにならないことに、
胸の奥がざわつく日もある。
親しい人だからこそ、
つい強い言葉を
返してしまいそうになることもある。
それでも。その言葉を、
すぐに相手へ投げ返さない。
ひと呼吸。
たった6秒でもいい。
その6秒のあいだに、
自分の心を魅る。
私は今、
何に腹を立てたのだろう。
本当に伝えたいのは、
この言葉なのだろうか。
それとも、
ただ傷ついた心が
反射しているだけなのだろうか。
言葉のキャッチボールは、
投げられた球を、
同じ強さで投げ返すことではない。
一度、
自分の手のひらで受け止める。
そして、
少しだけ温度を変えて返す。
そんなことができたなら、
それもひとつの「心磨き」なのだと思う。
昔から好きな言葉がある。
「心こそ
心迷わす
心なれ」
人の言葉でもない。
出来事でもない。
結局、
私の心をいちばん迷わせるのは、
私自身の心なのかもしれない。
だから、
勝つ相手もまた自分。
誰かに勝つことではない。
言い返したくなる自分。
決めつけたくなる自分。
正しさを振りかざしたくなる自分。
そんな自分に、
ほんの少しだけ待ったをかける。
それが、
私にとっての「自分に勝つ」
ということなのだろう。
今朝、
大さん橋の先で海を見た。
波は、
消そうとしても消えない。
風が吹けば揺れる。
船が通れば揺れる。
けれど、
やがてまた静かになる。
心も同じなのだと思う。
さざ波が立ったなら、
無理に押さえ込まなくていい。
ただ、
その波を自分の中へ戻してやる。
昨日考えた、
漆黒の、養分をたっぷり含んだ
畑のような場所へ。
そこへ、
ざわつきも、
苛立ちも、
悲しみも、
そっと鋤き込んでいく。
そして、
また心をならす。
平らになった土の上には、
きっと次の何かが芽を出す。
優しい言葉かもしれない。
許す気持ちかもしれない。
あるいは、
何も言わずにいられる静けさかもしれない。
心を磨くということは、
汚れを消して、
真っ白になることではない。
いろんな感情を抱えながら、
それでも自分で自分の心を整えていくこと。
白へ還り、
心ならしをして、
そしてまた、
今日という一日へ歩き出す。
完璧でなくていい。
昨日より、
ほんの少し。
反射する前に、
ひと呼吸できたなら。
言葉をひとつ、
やわらかく返せたなら。
それだけで今日は、
少しだけ自分に勝てた日。
大さん橋を渡る風の中で、
私はそんなことを思った。
心は、
磨けば光る宝石ではないのかもしれない。
揺れて、
濁って、
また澄んでゆく水のようなもの。
だから私は今日も、
磨くというより、心を魅つめ、心をならし、
心と一緒に歩いていこうと思う。
その繰り返しこそが、
きっと私の、「心を磨く」ということなのだ。
心を磨くということ✨
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