坂東太郎?
初めてその名前を聞いたとき、
私は一瞬、人の名前だと思った。
誰?
どこかの老舗のご主人?
それとも昔の偉い人?
ところが違った。
鰻だった。
しかも、ただの鰻ではない。
昨日、あなたとの鰻談義の中で初めて知った、
ブランド鰻。
その名も——坂東太郎。
この名前を知った途端、
私の中に眠っていたものが、
むくむくと頭をもたげた。
そう。
鰻愛。
私は鰻が好きだ。
いや、好きなんていう言葉では、
少し足りないかもしれない。
ある年の土用の丑の日。
なぜそう思ったのかは、
今となってはよく分からない。
私はその日までの一週間を勝手に、
「鰻週間」と名づけた。
そして毎日、鰻の蒲焼きを一尾食べた。
一日目、鰻。
二日目も、鰻。
三日目も、もちろん鰻。
土用の丑の日へ向かって、毎日一尾。
今思えば、いったい私は
何を目指していたのだろう。
鰻への愛を証明したかったのか。
それとも単に、食べたかっただけなのか。
たぶん後者である。
ところが途中で、ふと思った。
鰻は栄養がある。
特にビタミンAが豊富だという。
……待てよ。
これ、毎日一尾食べて大丈夫なの?
急に心配になって調べてみた。
するとやはり、
過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
いくら栄養豊富でも、
食べれば食べるほどよいわけではない。
ビタミンAは摂りすぎると体内に蓄積し、
体調に影響することもあるという。
そこでようやく私は悟った。
どうやら鰻にも、
愛し方というものがあるらしい。
以来、そんな無謀な鰻週間はやめた。
けれど——鰻を愛することまで、
やめたわけではない。
食べたいと思えば食べに行く。
機会があれば、捌くところから見たい。
串を打ち、焼かれてゆく姿まで見届けたい。
あの香ばしい匂いが立ち始めると、
それだけで幸せになる。
そして私は、鰻そのものだけでは飽き足らず、
あるとき妙なことを思いついた。
鰻と蕎麦を一緒にしたら、
どうなる?
名づけて、鰻十そば。
これはこれで悪くなかった。
好きなものと好きなもの。
鰻と蕎麦。
最強同士を組ませれば、
もっと最強になるはず。
……と思ったのだけれど。
食べてみて分かった。
鰻には、やっぱり白いご飯がよく似合う。
炊きたての白いご飯にタレが染み、
そこへ香ばしい蒲焼き。
残念ながら、蕎麦との恋は、
ご飯との長年の仲には勝てなかった。
そして私の理想のうな重には、
明確な配分がある。
ご飯、少なめ。
鰻、多め。
できれば一尾、丸ごと。
蒲焼きなら一尾くらい、
私はぺろりと食べる。
ちなみに私の最高記録は——二尾半。
こうなると愛なのか食欲なのか、
自分でもよく分からない。
これまで食べた中で、
とても美味しかった記憶として
残っているのは名古屋の鰻。
そして三島。三島は鰻で有名だというので、
仕事で年に一度ほど行くたび、
いつか桜家へ行ってみたいと思っていた。
ところが、
仕事が終わるのはいつもお昼を回ってから。
電話をすると、
「本日の鰻は終了しました」また翌年。
「終了しました」また翌年。
……また終了。
こうなると、もはや片思いである。
今でもまだ逢えていない。
けれど、
いつか食べたい鰻があるというのも、
悪くない。
天然鰻にも惹かれた。
肉厚で、少し野性味のある脂。
「天然」という言葉を聞いただけで、
なぜかひと口がさらにありがたくなる。
滋賀県では、
水産加工会社が直営する料理屋で
天然鰻を食べられると知った。
確か一日1組限定。
しかも6名以上でなければ予約できない。
ならば——集めればいい。
鰻のためなら、人を集める。
必死になって6人を集め、
最終的には8人ほどになった。
場所もなかなかのところ。
行くだけでも時間がかかった。
けれど、その先に待っていた鰻。
まず、鰻のすき焼き。
肉厚な身に驚いた。
蒲焼き。うな重。
ほかにもあったはずだけれど、
細かなことはもう覚えていない。
ただ、美味しかった。
それだけは覚えている。
一日わずか1組という特別感まで、
きっと味の一部になっていたのだろう。
それでも今は思う。
天然でなければ駄目というわけではない。
普通の養殖鰻だって、十分に美味しい。
大切なのは、私の好きな焼き方。
私は、香ばしく焼かれた鰻が好きだ。
外側は、パリッ。
皮も香ばしく。
中は、ふっくら、じゅわっ。
一度蒸して、ふわふわに仕上げる鰻よりも、
私は焼きの香ばしさが前へ出る方が好き。
だから昨日知ったあの名前が、
今、妙に気になって仕方がない。
坂東太郎。
調べれば調べるほど、食べてみたくなる。
どんな身なのだろう。
脂は?
香りは?
皮は?
そして何より——あなたは、
どう焼かれるのが一番美味しいの?
まだ姿すら見ていない。
香りも知らない。
味なんて、もちろん知らない。
なのに、もう気になっている。
これは恋なのか。
いや。おそらく違う。
だって恋なら、
「いつか逢いたい」で終わるはずだから。
私の場合は、その先がある。
逢いたい。
香りたい。
そして——食べたい。
まだ見ぬあなた、坂東太郎。
私はただいま、あなたに恋焦がれています。
いつか必ず逢いに行きます。
そのときはどうぞ、
外はパリッと香ばしく。
中はふっくら、じゅわっと。
できれば白いご飯は少なめで。
そしてあなたは——一尾、丸ごと。
これは恋文。
ただし、少々食欲の強すぎる、
食欲という名の恋文。
まだ見ぬ
君の香ばし
夢に焼き
逢へば最後は
いただきますと
— Morimura
鰻の小径|食欲という名の恋文✨
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