まだ街が眠っている朝。
風に呼ばれるように歩き出す。
月が残っている日もあれば、
もう白み始めた空だけの日もある。
いつも同じ道を歩いているはずなのに、
昨日とは違う雲があり、
違う光があり、
違う自分がいる。
昔の私は、
たぶん「何かが起きた日」を物語にしていた。
でも今は、少し違う。
何も起きていないような朝にも、
風がある。
色がある。
音がある。
そして、心がふっと動く瞬間がある。
「何もない」という余白の中へ、
言葉をひとつ。
音をひとつ。
色をひとつ。
そうやって、
自分だけの世界を少しずつ置いていく。
風はいつも、私を前へ連れていく。
けれど月は、ときどき振り返ることを
教えてくれる。
あの頃の私。
あの日の景色。
もう戻ることのできない時間。
それでも、それらは消えたわけではない。
今の私の中へ、静かに溶け込んでいる。
だから私は今日も歩く。
遠くへ行くためではなく、
今の自分に逢うために。
そして歩き終えるころ、
まだ名もなかった一日は、
少しずつ色を持ち始める。
白だった余白に、
風の青。
月の銀。
朝陽の桃色。
誰かの言葉のぬくもり。
昨日から持ち越した、
小さな記憶の色。
そうやって一日は、
生きた色へ変わっていく。
たぶん私は、
特別な人生を探しているのではない。
ありふれた一日の中に、
まだ誰も
名前をつけていない瞬間を
見つけたいのだと思う。
そして、それを言葉にして残したい。
何気なく口にして、
そのまま風の向こうへ消えていった言葉。
そのときは大切だとも思わなかった、
小さな心の揺れ。
振り返れば、そんなものの中にこそ、
その日の私がちゃんと息をしている。
だから、ときどき拾ってみよう。
過ぎていった私の言葉を。
こぼれていった景色を。
そのときには見つけられなかった意味を。
過去を懐かしむためではない。
今の私が、もう一度そこへ
光を当てるために。
そうすれば、昔の言葉が今の心と出逢って、
また違う物語をつくるかもしれない。
いつか未来の私がそれを読み返したとき、
「ああ、この頃の私は、
こんな風の中を歩いていたんだ」
そう思えたらいい。
そしてきっと、その未来の私もまた、
新しい朝の中を歩いている。
まだ名もなき一日に逢うために。
風わたり
名なき一日に
色を置く
昨日の月も
今日へ連れゆく
— Morimura
言の葉拾遺|風の向こう、まだ名もなき一日
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