一日が終わりに近づくと、
私はときどき、群青の扉を開く。
その向こうにいるのは、鬼の若様。
青い炎をまとい、
少し強引で、
どこか不器用で、
けれど、ひとりの人をまっすぐに想う。
最初は、ただ物語が面白かった。
続きを読みたい。
若様に逢いたい。
あの青い炎にもう一度包まれたい。
そんな気持ちだった。
けれど、いつの頃からだろう。
私は物語の続きを求めているだけではなく、
そこへ心を預けに行っているのだと
思うようになった。
朝、私は歩く。
風を感じ、
雨の音を聴き、
木々の色を魅つめ、
水面に心を映し、
ときには遠い時代まで心を飛ばす。
それは私にとって、とても大切な時間。
心を磨き、
余白をつくり、
世界をもっと深く感じるための時間。
けれど今朝、ふと思った。
心を磨くということは、
心を休ませていることとは違うのだと。
美しいものに感動しているときも、
何かを深く感じているときも、
私の心はずっと動いている。
もっと感じたい。
もっと知りたい。
この風景の奥には何があるのだろう。
心は休んでいるどころか、
一生懸命働いている。
昼になれば、また違う形で心を使う。
人と逢い、
言葉を交わし、
相手の気持ちを受け取り、
自分の思いも返していく。
何もしていないような時間でさえ、
私は考え、迷い、振り返り、
心の中で何かを整えている。
だから一日が終わる頃には、
身体より先に、
心が少しくたびれているのかもしれない。
そんなとき私は、群青の扉を開く。
そこでは、何かを見つけなくていい。
答えを出さなくていい。
言葉を紡がなくてもいい。
ただ物語の中へ入り、
若様の青い炎に包まれていればいい。
朝の私は、世界へ手を伸ばす。
けれど群青の中では、
世界の方から私を包んでくれる。
そこが違うのだと思う。
これは現実から逃げることではない。
現実へ戻るために、
ほんの少しだけ心の荷物を下ろす時間。
誰かに任せ、
物語に身を預け、
自分で自分を動かすことをやめる時間。
だから私は、夜になると若様に逢いたくなる。
青い炎は燃えているはずなのに、
私にとっては不思議なくらい温かい。
「もう何も考えなくていい」そんな言葉を、
炎の向こうから
かけてもらっているような気がする。
もちろん、物語なのだから、
やがてページを閉じれば
私は現実へ戻ってくる。
でも、そのとき少しだけ心が軽くなっている。
それでいい。
朝はまた、
自分の足で歩けばいい。
雨を感じ、
風に心をさらわれ、
新しい風景を迎え入れればいい。
だから夜だけは、群青の扉を開いて、
青い炎の中へ。
私の心が、
「今日はもう十分動いたよ」と言うまで。
そして最後には、
黒いアイマスクをそっと下ろして、
群青から漆黒へ。
ようやくそこで、
心も一緒に眠りにつく。
— Morimura
群青の扉を開く夜― 心を預けるということ
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