ずっと履いていた白いブルックスが、
とうとうくたくたになって、
最後には破れてしまった。
そろそろ新しい靴を買わなければ。
そう思いながらも、
ただ歩くだけだし、
そんなに靴にこだわらなくてもいいかな、
なんて思っていた。
本当なら、
アディダスが好き。
でもアディダスは、
私の足には少し細い。
だからいつもなら、
ニューバランスを適当に選んでいた。
ネットで調べてみても、
靴は山ほど出てくる。
何がいいのか、
だんだんわからなくなってきた。
そして面倒になり、
破れたブルックスを
しばらくそのまま履いていた。
そんなある日。
下足箱の中に、
白地にグリーンの三本線が入った
アディダスを見つけた。
どうやら、
亡くなった母が
リハビリのときに使っていた靴らしい。
履いたのは、
まだ二回ほど。
ほとんど新品。
せっかくなら、
これを履いてみよう。
アディダス好きの私は、
なんだか少し嬉しかった。
しかも、
新しい靴を買わずに済んだ。
それが一番嬉しかったのかもしれない。
でも、
その頃の私は
朝になると10km近く歩いていた。
折り返しを過ぎた頃には、
足の裏がヒリヒリしてくる。
痛い。
とにかく痛い。
そこで初めて、
身体でわかった。
やっぱり私は、
ちゃんとした靴を選ばなければいけない。
そこで、
自分の年齢も、
歩く距離も、
生活習慣も、
足のことも、
全部入れて、AIに相談した。
そして勧められたのが、HOKA。
聞いたことのないメーカーだった。
本当に大丈夫?値段も、
決して安くはない。それでも、
騙されたつもりで
真っ白な一足を買った。
届いたHOKAを履いてみた。
その瞬間だった。
雲の上を歩いているみたい。
クッションが柔らかい。
地面を踏むと、
ちゃんと返してくれる。
足が前へ前へ出ていく。
ふわふわ。
軽い。
まるで鳥になったみたい。
私は家族に、
嬉しそうに話していたと思う。
「雲の上を歩いてるみたい」
その一足を、まず自宅で履いた。
二日。
三日。
そして、
そのまま横浜へ連れてきた。
横浜でも、毎朝そのHOKAで歩いた。
海へ。
山下公園へ。
大さん橋へ。
雨の日も。
風の日も。
時には、
駅へ向かって走った。
時には、
日の出町から寄り道しながら歩いた。
もう、足と靴が一体になっていた。
でもHOKAは、
ちょっと大きい。
持って行ったり、
持って帰ったりすると、
かなりかさばる。
それなら――横浜には、横浜のHOKA。
自宅には、自宅のHOKA。
同じ白。
同じ頃に買った、
同じ一足。
そうして、
私の二つのHOKAが生まれた。
こちらのHOKAは、よく歩いた。
本当によく歩いた。
朝の海へ行く日。
エステやマツエクへ向かう日。
電車に遅れそうになって、
駅まで走った日。
雨の日。
台風の日。
いつの間にか、
先の方が少しくすみ、
白さもずいぶん失われてきた。
洗うといっても、
こちらでは水をかけるくらい。
自宅のHOKAと並べてみると、
同じ白なのに、
まるで違う。
こちらのHOKAには、
横浜で歩いた時間が
そのまま染み込んでいる。
知らない街だったからこそ、
見つけたものも多かった。
海。
風。
鳥。
雲。
光。
路地。
橋。
古い建物。
知らなかった景色。
だから、
こちらのHOKAには、
どこかドキドキとワクワクが
残っているように魅える。
そして、キュッ。キュッ。キュッ。キュッ。
雨の中を歩いたせいなのか、
時折きしむような音を立てる。
でもその音さえ、
今では私には懐かしい。
一方。あちらのHOKAは、
まだきれいだ。
買ったばかりとまでは言わないけれど、
白さを残している。
艶やかで、
どこか澄ましている。
あちらの街で歩くのは、
朝の小さな修行のような道。
静かな細道。
昔からある景色。
少し侘び寂びを感じる道。
同じHOKAなのに、
あちらの一足には、
どこか粋なたたずまいがある。
こちらは冒険。
あちらは静けさ。
こちらは、
知らないものを見つける靴。
あちらは、
知っているものの奥行きを
確かめる靴。
同じ白。
同じHOKA。
でも、歩いてきた道が違うから、
もう同じ顔ではない。
そう思うと、少しおかしくなる。
靴にも、その土地の時間が宿るのだろうか。
こちらのHOKAは、
横浜の雨を知っている。
あちらのHOKAは、
あちらの朝を知っている。
そしてどちらも、
私の足元で私の一日を知っている。
今朝も、こちらのHOKAは鳴っていた。
キュッ。キュッ。キュッ。キュッ。
ふと、
昔の歌を思い出した。
手をつないで歩けば、
みんな小鳥になって、
歌えば靴が鳴る。
森村。
モリリン。
ヒカリン。
風さん。
そしてHOKA。
今朝は、
HOKAもちゃんと仲間の一員だった。
だから第三部のあの服に、
白いHOKAがいた。
少しドレッシーで、
少し意外な組み合わせ。
でも、
今朝の物語を歩いてきたのは
この靴だった。
いつか、
この二足がもっとくたびれて、
とうとう破れてしまう日が来ても。
私はたぶん、
またHOKAを選ぶのだと思う。
雲の上を歩き、
鳥のように飛び、
足だけではなく、
身体も、
心も、
前へ運んでくれる靴。
あのとき。
聞いたこともなかった名前を、
半信半疑で選んだこと。
それは、
ただの買い物ではなかったのかもしれない。
今になって思う。
あれはきっと、運命の出逢いだった。
こちらのHOKA。
あちらのHOKA。
今日もそれぞれの場所で、
私の次の一歩を
静かに待っている。
— Morimura
特別編|こちらのHOKA、あちらのHOKA
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