海へ着いたころ、
空はもう、
限りなく透明に近い空色へ変わっていた。

けれど、ひと色ではない。
光る白。
くすんだ白。
黄みを帯びた白。
オレンジがかった白。
グレーに沈む白。
いくつもの白が、
何層にも何層にも重なっている。

最初は遠い山の稜線かと思った。
けれど、そこに山はない。
それは雲だった。
まるで砂丘のように、
あるいは心の地層のように、
幾重にも折り重なる白い層。
そして、その奥から光が滲んでいた。

強く照らしつける光ではなく、
静かに、少しずつ、
こちらへ届こうとする朝の光。
ああ。
今の私の心も、
きっとこんなふうなのだと思った。

昨日から拾ってきた風景。
今朝、呼び起こした記憶。
明治の灯り。
棟方志功。
二十歳の私。
有明の月。
木星。
鳥の声。
どれも消えたわけではない。

白い層の一枚一枚になって、
心の中に静かに重なっている。

そして大さん橋へ入る。
そこには豪華客船。
白い船体の上から、
真っ黒な煙が、
もくもくと空へ立ちのぼっていた。

こんなふうに煙が吹き出す姿を見たのは、
初めてかもしれない。

透明な朝の空に、
突然現れた黒。
その勢いを魅ていると、
なぜかまた棟方志功の文字を思い出した。
黒く鋭く、
一気に走る線。

想いも、願いも、感情も、
全部まとめて吹き出すような一筆。
あの煙もまた、
大きな空へ自分の存在を
書きつけているようだった。

けれど、その黒ささえ、
朝の光の中で少しずつ薄まり、
やがて空へ溶けていく。
大きな空は、
何でも受け止めてしまう。

記憶も。
煙も。
昨日も。
今日も。

そして空は、
また白へ還っていく。

私はその風景を魅ながら思った。
日本の四季も、
きっとこんなふうに移ろっていくのだろう。
紅に染まり、
やがて散り、
また次の季節へ。

ずっと残るものではないからこそ、美しい。

もののあはれ。

今朝の太陽も、
それほど眩しくはなかった。
ほんのりと、控えめに輝いている。

その光の中に、
どこか日本らしい静けさを感じた。

そして、うっすらとかかる雲は、
まるで花札の絵柄のようだった。
その下に、
猪や鹿や蝶がいても不思議ではない。

そんな素朴な風景。
でもきっと、
外国から来た人には、
この何気ない空こそ
「日本らしい」と映るのかもしれない。

私は思う。
日本で暮らせることは、
感じられるものが多くて幸せなのだと。

季節の色。
風の匂い。
空の移ろい。
古いものを守り、
次の世代へつないでいこうとする心。

そんなものを、
これからも大切に拾っていきたい。

そしてもう一度、空を見上げた。
朝のはじめにあった群青は、
もうほとんど消えていた。

残っているのは、
今日という一日を待つ白い余白。

その白に、
これからどんな色が重なっていくのだろう。

そう思うと、
今日という日が少し楽しみになった。 
朝の物語、ここでひとまず閉じます。

— Morimura