空が少しずつ白へ向かうころ、
私は馬車道へ入った。
そこでまた、十五分の魔法にかかった。
昨日までなら、
ただの街灯として
通り過ぎていたかもしれない灯り。
けれど今朝は違った。
等間隔に並ぶガス灯を魅つめていると、
背広姿の男性、
洋装の女性、
まだ和装のまま歩く人々まで、
明治の馬車道を行き交う姿が浮かんでくる。
新しい時代。
新しい灯り。
新しい料理。
新しい暮らし。
きっと人々は、戸惑いながらも、
これから始まる未来を
眩しく感じていたのだろう。
そして十番館。
ビスカウトという
昔ながらの洋菓子を思い出し、
そこから勝烈庵へ心が向かった。
勝烈庵。
ただのとんかつ屋さんだと思っていた
店の向こうに、
棟方志功という扉があった。
戦後間もない昭和22年頃。
勝烈庵との交流が始まり、
あの「勝烈庵」の文字も
棟方志功が揮毫したという。
黒く鋭い。
筆先が紙を切り裂くように走り、
一文字一文字に、
張りつめた勢いが宿っている。
その文字を思い浮かべた瞬間、
今度は私の時間が、さらに遠くへ流れた。
二十歳の頃。
あるステーキハウスで初めて魅た、
棟方志功の作品。
黒が浮き立つような版画。
深く、激しく、ぐいぐいと迫ってくる彫り。
どんな作品だったのか、
もうはっきりとは思い出せない。
ただ、その強烈な印象だけは、
今も心の奥に残っている。
そして、その店でもうひとつ残っている記憶。
フィレステーキ。
焼き加減を「普通」と頼んだはずなのに、
中はほとんどレア。
一切れ切って、
「こんなの食べられない」と言った私。
あなたは私以上に怒ってくれた。
一度下げられた皿は、
なんと私が切った肉を
そのまま焼き直して戻ってきた。
それを見て、
あなたはさらに怒った。
「肉を二度焼くなんて」
結局、新しく焼き直された
フィレ肉が出てきた。
二十歳の私は、
それをひと口ぱくり。
「おいしい、おいしい」
棟方志功の作品を眺めながら、
嬉しそうに食べていた。
はぁ。
「森村さん、森村さん。早く戻ってきて」
モリリンの声。
「大丈夫? 夢から覚めそう?」
心配そうなヒカリン。
そして風さんが、
やさしく包むように言った。
「早く戻っておいで」
ああ。やっと十五分の夢から覚めた。
文明開化の馬車道から、
戦後間もない横浜へ。
そして最後には、
遠く離れた町で過ごした
二十歳の私にまで逢っていた。
長い、長い十五分だった。
でも不思議と、
少しも疲れてはいなかった。
むしろ遠い記憶が、
今朝の光を浴びて、
もう一度きれいに輝き始めたような気がした。
昨日から、
なぜか「二十歳」が心に引っかかっている。
そして今朝また、
その三文字が新しい扉を開いた。
つづく。
朝の物語 第二部|十五分の魔法、明治から二十歳へ✨
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