第三部|あわいの中を、旅立つ〜群青の空と、七日間のきらめきを胸に〜
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さあ、準備はできた。
部屋の中をもう一度、ひと通り確かめる。
忘れ物はないか。
荷物はそろっているか。
この七日間を過ごした部屋に、
小さく「ありがとう」と心の中で声をかける。
ここには、
確かに私の時間があった。
眠り、目覚め、支度をし、
物語を綴り、
心を遊ばせ、
幾つもの想いを重ねた部屋。
そんな思い出に、
少しだけ後ろ髪を引かれながら、
私は荷物を手に外へ出た。
そして、ふと空を見上げる。
朝のウォーキングでも、
幾度となく見上げた私の空。
そこには、
群青の、けれどどこか淡くも魅える
美しい世界が広がっていた。
まだ夜の余韻を残しながら、
静かに朝を迎えようとしている空。
この七日間の横浜の風景が、
いつのまにかすっかり
この群青の中に溶け込み、
私の心の源風景になってしまったように思えた。
そして、今朝一番のあの感動。
オリオンのベルトと剣。
冬の大三角形。
無数に散りばめられた星々。
あの美しい宇宙の風景が、
この群青の奥深くで、
まだ静かに輝き続けているような気がした。
朝は、歩くための道だった。
けれど今、その同じ道を、
私は帰るために歩いている。
同じ道なのに、
こんなにも心の色が違うものなのだろうか。
お店に鍵を返し、
駅へと向かう。
早朝のひんやりとした風が、
頬を優しく撫でていく。
ああ、心地いい。
やっぱり私は、
夜と朝のあわいに広がる、
この静かな群青の世界が大好きなのだ。
そして駅へ近づいたとき、
ふと頭上に、
ひときわ明るく輝く星を見つけた。
東97度。あれ?
この星は、
今朝ベランダから魅ていた
あの星たちのひとつなのだろうか。
それとも、また別の星なのかしら。
星なのか、惑星なのか。
そんなことを考えながら、
しばらく空を見上げていた。
もしも、
天空のすべてを見渡せる場所があるのなら。
そこに仰向けに寝そべって、
何にも遮られることなく、
頭上いっぱいに広がる星空を眺めてみたい。
どこまでも続く宇宙の中へ、
自分の身体ごと吸い込まれていくような、
そんな時間を過ごしてみたいと思った。
駅の地下へ降りるエレベーターの入り口。
もう一度空を見上げると、
南の空にも、また星が輝いていた。
夜空には、
いったいどれほどの星があるのだろう。
そういえば……。
小学生、中学生の頃、
私は星の勉強があれほど嫌いだった。
星座の名前も、
星の動きも、
なかなか興味を持てなかった。
それなのに今はどうだろう。
まだ夜も明けないうちから、
星を探してベランダへ飛び出し、
その輝きに心を奪われている。
ふふっ。
なんだか可笑しい。
人の心というものは、
いくつになっても変わるものなのね。
そして、ふと思い出した。
点を結べば線になる。
線を結べば面になる。
そして、
その道を自分の足で歩けば、物語になる!
あのとき心に生まれた言葉。
今朝、星と星を結びながら、
私はその意味をもう一度、
自分の心で確かめていたような気がする。
冬の大三角形。
オリオンの帯と剣。
小さな光の点がつながり、
そこから神話の世界が広がり、
遠い宇宙への想像が膨らんでいく。
そして、その星空を見上げた私の心も、
いろいろな場所へと旅をした。
自然の風景。
遠い記憶。
歴史の世界。
そして、まだ見ぬ未来。
一つの感動が、
また新しい感動を呼び、
そこから幾つもの物語が生まれていった。
なんて素晴らしい、
七日間の横浜ステイだったのだろう。
今、振り返れば、
一つひとつの出来事が、
まるで今朝の星空のように
キラキラと輝いて魅える。
そのすべてが、
私の心の中に
かけがえのない宝物として残っている。
さあ、これから和歌山へ。
そして、その先には我が町が待っている。
今、私は、 横浜と、
もうひとつの私の世界とのあわいにいる。
夜と朝のあわいにいる。
星空の群青と、
これから昇る太陽の光との
あわいにいる。
群青から淡い青へ。
そして、限りなく透明に近い
優しい色彩の世界へ。
その移ろいの中を、
私はゆっくりと旅していく。
どんな私も好き。
どんな時間も好き。
だから、しばらくは
このあわいの世界に身を委ね、
その美しさを楽しんでいたい。
横浜で過ごした七日間。
そこで拾い集めた感動や感激、
心を震わせた風景、
そして幾つもの物語。
それらを心の奥にそっとしまいながら、
私はまた、
新しい風景を迎え入れるための
余白を作っていくのだろう。
そう思ったとき、
ふと、ひとつの言葉が心に浮かんだ。
無一物中無尽蔵。
何も持たないように見える心の中に、
実は尽きることのない豊かさがある。
感動が感動を呼び、
心を震わせ、
そしてまた、
新しい感動を生み出していく。
その営みには、
きっと終わりなどないのだろう。
では、
人の心にはいったい
どれほどの広さがあるのだろう。
どれほどの想いを、
しまっておくことができるのだろう。
それはきっと、
今朝、私が魅つめいた
あの大宇宙のようなものなのかもしれない。
果てしなく広く、
どこまでも奥深く、
底さえ見えない神秘の空間。
そこには、
まだ私自身も知らない
幾つもの星が眠っている。
これから先、
その星たちがひとつ、
またひとつと
輝き始める日が来るのだろう。
そして、その光を見つけるたびに、
また新しい物語が生まれていく。
そう考えると、
これから歩いていく人生が、
なんだかとても楽しみになってきた。
さあ、横浜。
七日間、ありがとう。
今朝、星たちがくれた
小さな奇跡も忘れない。
あの群青の輝きを、
心の奥にそっと抱きしめて。
私はこれから、
時のトンネルを抜けていく。
夜と朝のあわいから、
今日という新しい世界へ。
心は無一物中無尽蔵。
あの天空に果てがないように、
私の心にも、
まだ見ぬ物語が無限に広がっている。
そんな想いを胸に、
私は今、
横浜をあとにする。
— Morimura