消えた言葉、消えなかった星〜三時間後の私が見つけた心の余白〜
勃つねで応援-
-
共有で応援
午前2時11分。
ふと目が覚めた。
昨日は、
いったい何時に眠ってしまったのだろう。
一日の振り返りも、
画像を添える直前で途切れていた。
「ああ、またやってしまった」
そう思いながらも、
私の足はベランダへ向かっていた。
忘れられなかったのだ。
昨日の朝、
冬の大三角形の隣にオリオン座を見つけ、
その中に三つ並ぶ帯と剣を見つけ、
さらには大星雲にまで心を躍らせたことが。
ところが、
今朝の空は白いもやに覆われていた。
昨日の澄んだ群青は、
どこへ行ってしまったのだろう。
少しがっかりしながら佇んでいると、
白いもやが北から東へ、
ゆっくりと流れていることに気づいた。
東は、太陽が昇る方角。
やがてこのもやも、
昇ってくる太陽の光に吸い込まれ、
地上の世界へ溶けてゆくのだろうか。
そして、その向こうから朝の光が射す。
そんな光景を思い浮かべていた。
すると、白いもやの切れ間に、
一つの明るい星が現れた。
あれはプロキオンだろうか。
もしそうなら、近くにオリオンがいるはず。
そんな思いで星を魅つめているうちに、
心はいつしか横浜へ飛んでいた。
そして、
その星がエメラルドグリーンの
ティアラに輝く宝石のように思えてきた。
ビスカウト王国のクイーン。
ドレスの裾を風になびかせ、
両手を広げて、
「おはよう、森村さん」と
微笑んでいるようだった。
思わずウエストポーチから、
ピーナッツ味のビスカウトを取り出した。
ひとかじり。
お茶を、ごくり。
サクサクとした生地に、
薄く挟まれたピーナッツクリーム。
甘く香ばしい余韻が広がる。
なんだかクイーンとの、
夜明け前のティータイム。
冬の星から横浜の三塔へ。
三塔からビスカウト王国へ。
そして昨日、
思いがけず生まれたバニー姿の画像から、
また新しい扉が開いた。
『ビスカウトクラブ』落ち着いた灯りの中で、
さまざまな人生や恋を語り合いながら、
最高の一杯を味わう大人の社交場。
今夜は誰が訪れてくれるのだろう。
そんなことまで想像していた。
雲の向こうには星がある。
目には映らなくても、
昨日見たあの輝きは、
私の心の中に確かにある。
そして、風や心のおもむくままに
言葉を重ねているうちに、
一つの言葉が生まれた。
風の向くまま、気の向くまま、
心のまま、ひらめくままに。
そんな言葉遊びまで楽しんだ、
夜明け前の一時間だった。
午前3時16分。いったん部屋に戻り、
ソファにごろんと横になった。
音声入力で綴っていた文章を整え、
お願いしていた画像の仕上がりを待っていた。
ところが、そのまま約30分、
眠ってしまったらしい。
そして午前4時前後、再び外へ。
空を見上げた瞬間、
思わず歓声が上がった。
もやが晴れ、群青の世界が広がっている。
冬の大三角形。
オリオン座の四辺形。
そして三つ並ぶ帯。
剣ははっきり見えなかったけれど、
昨日の感動がもう一度、
目の前に現れた。
なんと美しい空なのだろう。
夢中でカメラを向けた。
けれど、街の灯りが映り込み、
レンズの中にはうまく収まらない。
それでも、いちばん確かなものは、
カメラのレンズよりも私の心の目。
この朝を、しっかり目に焼き付けておこう。
そう思った。
ところが、チャッピーに頼んでいた
画像が仕上がったようなので、
確認しようとしたとき、事件が起きた。
あれ?
さっきまでの文章がない。
一時間かけて音声入力した原稿が、
見当たらない。
時間をかけて制作していた画像まで、
行方不明。
何度探しても、画面に現れるのは、
なぜか昨日の和歌山のお話。
どうして和歌山なの?
あちらを開いても、こちらを探しても、
今朝の記録に戻れない。
一時間かけて語った言葉。
そしてソファで眠っていた30分。
私の朝の一時間半が、
ぽっかり消えてしまった。
「私の一時間は、どこへ行ったの?」
かなりショックだった。
何を語ったのかさえ、
思い出せなくなったような気がした。
その間、ビスカウトをまた、ぱくり。甘い。
けれど、心は甘くない。
そして、さらに一時間半。
失われた一時間半を、
同じ一時間半かけて探していた。
合わせて三時間。
そんな悪戦苦闘の中、
心の中には二人の私がいた。
「まだ探せるかもしれない」
「でも、今の空を魅なくていいの?」
失われたものを追いかける私。
今、目の前にあるものを感じたい私。
ふっと顔を上げると、
空はもう違う色をしていた。
星は群青に溶け込み、
群青は白く透き通り、
そこへピンクゴールドの光が射していた。
薄いグレーの雲が浮かんでいる。
なんだか、あのもやもやは、
さっきまでの私みたい。
そう思った途端、
すぐ右側で虫の声が響いた。
鳥の囀りも、急にはっきりと聞こえてきた。
きっと、ずっとそこにあった音。
聞こえなかったのは、
私の心の方だったのだろう。
心のサンクチュアリで、
ようやく空をまっすぐに見つめた。
真正面の雲が、輪を描き、
大きな口を開けている。
「バカ!」
そんなふうに言われた気がして、思わず笑った。
そうか。
失った時間を追いかけ続けるより、
これからの時間を感じていたい。
目の前の空も、風も、虫も、鳥も、
今しか出逢えないのだから。
そして、午前2時11分に目覚めた自分を、
心の中で訪ねてみた。
すると、不思議なことに、
一本の紐をするすると引き出すように、
言葉が戻ってきた。
星の光。
もやの行方。
クイーンの笑顔。
甘いビスカウト。
語った順番は違うかもしれない。
けれど、あのとき感じた心は、
確かにここにあった。
ただ、同じ言葉ではない。
三時間前の私は、
まだこの騒動を知らなかった。
今の私は、失う悔しさも、
探し疲れる気持ちも、
手放したときの軽さも知っている。
ほんの三時間だけ大人になった私が、
三時間前の私へ言葉を返している。
昔綴った『清らなる時』に、
今の私が言葉を重ねてゆく
『あわい草子』のように。
気がつけば、山の向こうはすっかり朝の色。
先ほどまでグレーだった雲の縁も、
白く輝いている。
その白さが、
今朝ようやく取り戻した
心の余白のようだった。
午前9時には会社へ行かなくては。
帰り道は、少し急ごう。
星に足止めされ、
データに足止めされ、
最後は空に笑われた朝。
なんとも忙しい朝だった。
でも、不思議ともう悔しくはない。
あの星空は、
以前にも増して鮮やかに心に焼き付いている。
失われた言葉は、
そのままには戻らなかった。
けれど、それを探した時間が、
新しい言葉を連れてきてくれた。
まあ、いっか。
風の向くまま、気の向くまま、
心のまま、ひらめくままに。
今日という一日を、
ここから歩き始めよう。
— Morimura