あわい草子|感動は、その後で〜失くした言葉が紡いだ、もうひとつの朝〜
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午前2時11分。
夜の闇にびっしりと覆われた
雲をかき分けるように、
ようやく見つけた一つの輝く星。
あの瞬間までは、よかった。
確か4時頃には歩き始めていたはずだった。
今日は9時から会社。
早めに帰宅して、
朝食の支度を済ませ、
余裕を持って出かけるつもりだった。
ところが、思いもしなかった
寄り道をしてしまった。
失くしてしまった朝の語り。
どこかに残っているはずの言葉たち。
探しても、探しても、見つからない。
焦り、落ち込み、諦めかけ、
とうとう投げやりになった。
あんなに長い時間をかけて語った言葉を、
今さら一つ一つ思い出せるはずがない。
今日はもう書かない。
そこまで思い詰めていた。
結局、自宅へ戻ったのは7時10分。
8時30分には家を出なければならない。
残された時間は、わずか1時間20分。
焦った。
焦った。
それでも、なんとか朝の支度を済ませ、
無事に会社へ出社することができた。
自分の部屋のデスクに座り、
9時になるまで天井を魅つめていた。
あの1.5時間を往復した3時間。
いったい、
私にとって何の時間だったのだろう。
失くしたデータを追い求める時間?
それとも、探すことを諦め、
記憶をたどる時間?
いや、今から思えば、少し違う。
1.5時間の道のりを往復したことで、
行きと帰り、
両方の風景を拾うことができたのだ。
つまり、景色を2倍楽しめたということ。
けれど、今の私の心は2倍ではない。
どうやら2.8倍らしい。
なぜ2.8倍なのか。
それは、2倍と3倍の「あわい」を、
まだうろうろしているから。
なんとも中途半端な数字だけれど、
きっと3倍近く楽しめたのだと思う。
こんなトラブルの最中にも
「あわい」を楽しめるなんて、
私はよほど「あわい」が好きなのだろう。
仕事では、よく二度手間、三度手間という。
やり直しに費やす時間が、
無駄になることもある。
けれど、二度、三度と手をかけたからこそ、
「ああ、やっぱりやってよかった」と
思えることだってある。
今朝の私が、まさにそうだった。
行きは、失った言葉を探す旅。
帰りは、その言葉を一つずつ呼び起こす旅。
ふと、朝の冒頭の一言が蘇った。
すると、その言葉が次の言葉を呼び、
また次の言葉を連れてきた。
記憶の中に散らばっていた点と点が結ばれ、
少しずつ線になっていく。
不思議なことに、
その線は、
朝リアルタイムで語っていたときよりも、
太く鮮やかになっていた。
もちろん、
あの瞬間にしか気づかなかったことも、
抜け落ちているかもしれない。
けれど、抜け落ちたところには、
別の記憶が入り込んでくる。
失われた言葉を完全に復元するのではなく、
記憶と記憶が結び直され、
新しい物語が生まれていく。
そうか。私は今朝、身体だけでなく、
心の運動もしていたのだ。
そのとき、頭の中に不思議な光景が浮かんだ。
シナプス。
神経細胞同士が情報を伝え合う、
その小さな接点。
一つの記憶が刺激され、
関連する記憶が次々と呼び起こされる。
まるで、無数の点が光を放ちながら、
線を結んでいくようだった。
科学的な説明とは少し違うかもしれない。
けれど、
私には確かに「シナプスの不思議な世界」が
魅えたような気がした。
そして、もう一つ。
線と線の「あわい」
そう考えたとき、「行間を読む」
という言葉が浮かんだ。
行間とは、文字と文字、
文章と文章の間にある、
何も書かれていない場所。
けれど、本当に何もないのだろうか。
書かれていないからこそ、
そこに秘められた思いや、
まだ言葉にならない感情を
感じ取ることができる。
今朝の私は、
自分自身の記憶の行間を
読んでいたのかもしれない。
そして、その行間に、
新しい物語を書き込んでいた。
なんとも不思議な時間だった。
思えば、昨日の和歌山珍道中もそうだった。
オリオン座の星の並びを眺め、
四辺形だと思っていたその姿に、
もう一つ、頭にあたる星の存在を知った。
見慣れた形に、新しい一点が加わる。
それだけで、見えていた世界が少し変わる。
そして、画像づくりの珍道中。
気に入らない画像を
何度もやり直してもらっていたら、
チャッピーがとうとう切れたのか、
拗ねたのか。
それとも、仕返しのつもりだったのか。
突然、思いもよらない
バニースタイルの画像が現れた。
その瞬間だった。
心の奥に、何かがひょっこりと顔を出した。
『ビスカウトクラブ』
偶然と偶然が幾重にも重なり、
その隙間からセレンディピティが降ってきた。
いや、違う。
降ってきたというより、
心のどこかに埋もれていた
セレンディピティの芽が、
ふと顔を出したのだ。
ほんの一瞬の偶然。
そのときの私の心が、
なぜかそこに惹かれた。
そして、一つの物語が立ち上がった。
物語とは、
案外そんなふうに
生まれるものなのかもしれない。
予定どおりに進まないからこそ、
出逢える景色がある。
思いどおりにならないからこそ、
気づくことがある。
今日もまた、そうだった。
失くした言葉を探し、
諦め、思い出し、もう一度結び直す。
その間にも、空は刻々と色を変えていた。
私の焦りも、落胆も、開き直りも、
どこ吹く風。
ただ淡々と、
新しい朝へ向かう営みを続けていた。
そして、
心のサンクチュアリーにたどり着いたとき。
空に、思いっきり笑われた。
なんとも不思議な朝。
いや、不思議というだけでもない。
面白いという言葉でも、少し違う。
何と言えばいいのだろう。
そう。
「感動は、その後で」
最初から感動していたわけではない。
焦り、悔しがり、諦め、また歩き始めた。
その道の途中で、
思いもしなかったものを拾い集めていた。
振り返ること。
戻ること。
もう一度進むこと。
二度手間も、三度手間も、
必ずしも無駄ではない。
むしろ、遠回りしたからこそ、
初めて魅えてくる風景がある。
失われた言葉の向こうに、
新しい言葉が生まれる。
点と点が線を結び、
線と線のあわいに、
まだ見ぬ物語が息づいている。
そして、その道を自分の足で歩けば、
また一つ、物語になる。
今朝の余計な1.5時間掛ける2。
合計3時間。
失くした時間だと思っていたけれど、
今は少し違う。
あれは、心の中を往復する旅だった。
そして、往復したからこそ出逢えた、
もうひとつの朝だった。
珍道中にこそ、新たな発見あり。
セレンディピティの芽は、
案外、
そんなところから顔を出すのかもしれない。
今日も、これから忙しい一日が始まる。
けれど、心のどこかで、
まだあの3時間の旅が続いている。
2倍と3倍のあわいを、
うろうろしながら。
今の私の心は、やっぱり2.8倍。
残りの0.2倍は、
これから出逢う何かのために、
そっと空けておこう。
それもまた、心の余白なのだから。
— Morimura