一筆入魂|「解」〜心の結び目をほどく〜
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「解」この一字を眺めていると、
今日一日の私の心が、
静かに浮かび上がってくる。
解く。ほどく。解き放つ。
同じ一字でありながら、
その響きには、
どこか異なる心の動きが宿っている。
何かを理解することも「解」
絡まった糸をほどくことも「解」
そして、何かに縛られていた心を
自由にしてあげることも、
また「解」なのだろう。
思えば、今日は朝から不思議な一日だった。
午前2時11分に目覚め、
まだ夜の闇に覆われた空に、
一つの輝く星を見つけた。
そこから始まった私の朝は、
思いもよらない方向へと進んでいった。
大切に語り綴っていた言葉が、
突然消えてしまったのだ。
探しても見つからない。
焦り、落ち込み、諦めかけた。
それでも、もう一度記憶をたどり始めると、
一つの言葉が次の言葉を呼び、
その言葉がまた別の記憶を連れてきた。
点と点が結ばれ、線になっていく。
その線は、初めて語っていたときよりも、
どこか太く鮮やかになっていた。
失くしたものを探す1時間半。
記憶を結び直す、もう1時間半。
私は朝から、言葉という見えない糸を、
何度も手繰り寄せていたのだ。
そして、会社へ。
本当なら、今日はもう少し早く帰って、
家でゆっくりできるはずだった。
ほかの予定も来週へと延期した。
けれど、どうにも心が落ち着かなかった。
あれも気になる。
これも気になる。
返事をしなければならないこと。
日程を調整しなければならないこと。
どうするべきか、決めかねていること。
一つひとつは、それほど大きな問題ではない。
けれど、小さな気がかりが重なり合うと、
いつの間にか心の中に
幾つもの結び目ができてしまう。
まるで、細い糸が絡まり合い、
ほどこうとするほど、
かえって固くなってしまうように。
そんな心のざわめきを抱えたまま、
会社へ向かった。
そして、ひとつずつ整理することにした。
お断りするもの。
事情を説明して延期するもの。
保留にしていた返事をするもの。
すべてを解決したわけではない。
けれど、不思議なことに、
一つ区切りをつけるたび、
心が少しずつ軽くなっていった。
それでも、まだ仕事は残っている。
どうしよう。
せっかく会社にいるのだから、
全部片づけてしまおうか。
いや、今日はここまでにして帰ろうか。
書類とパソコンの画面を見つめながら、
また迷い始めた。
あと30分。
そう決めたはずなのに、
気がつけば1時間半。
今日という日は、
どうやら1時間半という時間に、
よほど縁があるらしい。
朝の1時間半。
もう一度、1時間半。
そして会社でも、また1時間半。
三度目ともなれば、偶然というより、
何かの巡り合わせのようにも思えてくる。
けれど、最後の1時間半は、
少し様子が違っていた。
仕事を進めていた時間のあとに、
もう少し続けようか、
それとも帰ろうかと、
思い悩む30分があった。
そんなとき、ふと投げかけられた問い。
「それは、
今日中に片づけなければならない仕事なの?」
ああ、そうか。
別に、今日でなくてもいいのだ。
そう思った瞬間、何かがすっとほどけた。
私は、いつの間にか自分自身に
「全部終わらせなければならない」
という結び目を作っていたのかもしれない。
誰かに強いられたわけでもない。
期限が迫っているわけでもない。
ただ、自分の気持ちとして、
すべて片づけておきたかった。
けれど、その気持ちが、
知らず知らずのうちに自分を縛っていたのだ。
仕事を残すことと、
仕事を投げ出すことは違う。
今日やらなければならないことを終え、
明日でもよいことは明日に回す。
それもまた、
今日の仕事を片づけるということなのだろう。
何もかも解決することだけが、解決ではない。
そう気づいたとき、
心の中に立ち込めていた霧が、
少しずつ晴れていった。
そして、ようやく帰宅した。
今日は夕食も用意してもらえるらしい。
なんともありがたい。
少しゆっくりしてもいいのだと思うと、
またひとつ、
心の結び目がほどけたような気がした。
さて。
今日という一日を振り返ってみる。
最初の1時間半は、
失くした言葉を探した。
次の1時間半は、記憶の糸を結び直した。
そして最後の1時間半は、
自分の心に絡まった糸をほどいていた。
探して、結んで、ほどいて。
三度の1時間半。
同じ長さの時間でありながら、
そこに流れていた心の景色は、
まったく異なっていた。
朝は、失ったものを取り戻そうとした。
午後は、抱えていたものを手放そうとした。
結ぶことと、ほどくこと。
正反対のように思える二つの営みが、
実は同じ一日の中で、静かにつながっていた。
そして、そのあわいには、
心の余白が生まれていた。
そう考えると、
今日の「解」という一字は、
単に問題を解くという意味だけでは
収まりきらない。
結び目をほどく。
なんと優しい響きなのだろう。
絡まった糸を無理に引っ張れば、
結び目はますます固くなる。
けれど、少し手を緩め、
糸の行方を見つめ直せば、
思いがけずするりとほどけることがある。
それは、心も同じなのかもしれない。
急がなくてもいい。
今すぐ答えを出さなくてもいい。
今日できることと、明日できること。
そのあわいに、
少しだけ余白を残しておけばいい。
そして、ふと思った。
人生には、結ばなければならない縁もあれば、
ほどかなければならない思いもある。
大切に結び続けたいもの。
そっと手放した方がよいもの。
今はまだ、
結論を出さずに置いておきたいもの。
その一つひとつを見極めながら、
人は自分の心を整えていくのだろう。
すべてを抱え込むことが、誠実なのではない。
すべてをやり遂げることだけが、
充実なのでもない。
ときには、自分自身に許しを与えることも
必要なのだと思う。
今日はここまで。
続きは、また明日。
そう言えるようになったことが、
今日の私にとって、
何よりの収穫だったのかもしれない。
明日からは、出張。
そして、そのまま横浜へ。
きっと新しい風が吹き、
新しい景色が広がっていく。
その風を迎えるためにも、
心の中に少しばかりの余白を残しておきたい。
さて、今宵の一筆。
白い紙に向かい、心を静める。
そして、一字。
「解」
それは、何かを終わらせるための
一字ではない。
絡まった思いをほどき、
心を軽くして、
次の一歩を踏み出すための一字。
今日の三度の1時間半は、
決して無駄な時間ではなかった。
失くした言葉を探す旅から始まり、
自分自身を解き放つ旅へ。
遠回りをしたからこそ、
たどり着けた場所がある。
そして今、ようやくわかったような気がする。
心の結び目は、
無理に断ち切らなくてもいい。
ひとつずつ、
優しくほどいてあげればいいのだ。
その先には、きっとまた、
新しい風が待っている。
— Morimura