つれづれなるままに、まち暮らし、
スマホに向かひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、
そこはかとなく書きつくれば——。

私はいつも、あわいをさまよっている。
私には、朝の小さな勝負がある。
相手は、卵。
たかが目玉焼き、されど目玉焼き。

この一枚には、譲れないこだわりがあるのだ。
白身の裏側は、香ばしくパリパリ。
けれど黄身は、
固まるか固まらないかの境目で、
しっとりしていてほしい。
箸を入れても、とろりと流れ出さない。
かといって、粉っぽく固まってしまっても困る。

「そこ! 今!」フライパンの前で、
心の中の号令が飛ぶ。
料理とは、時に大胆さが必要であり、
時に慎重さがものをいう。

目玉焼き一つにも、それがある。
少しの火加減、ほんのわずかなタイミング。
同じ卵を割っているつもりでも、
毎朝必ず同じ出来になるとは限らない。

だから、理想どおりに焼けた日は嬉しい。
あっ、今日はいいことがありそう。
何の根拠もない。
けれど、そんな予感で朝が始まるのは、
なんとも気分がいい。

別に、特別なご馳走が
食卓に並ぶわけではない。
いつもの卵が、
いつもより少しだけ上手に焼けた。
ただ、それだけ。

ところが、その「ただ、それだけ」が
侮れないのである。
 
先日、ある絵皿を手にした。
白い丸皿の真ん中に、
棟方志功の仏さまが描かれている。
墨の力強い線と、穏やかな表情。
広い余白に、朱色の小さな印が映える。

初めは飾っておきたいと思った。
でも、眺めているうちに気づいた。
これ、私の目玉焼きに
ちょうどいい大きさではないか。

本当は四枚欲しかったのに、
手に入ったのは二枚。
何枚も揃えたいと思うほど、
気に入ってしまったのだ。

ただし、ひとつ気になることがある。
仏さまのお顔の上に、
目玉焼きを載せてもよいものだろうか。
なんだか、罰が当たりそうな気もする。

いやいや、食器として迎えたのなら、
丁寧に使うことも大切にする方法のひとつ。
そう考えると、少し気が楽になった。

もし、このお皿に目玉焼きを盛り付けたなら。
まずは白身のパリパリを味わい、
黄身のしっとりを楽しむ。
そして食べ終わる頃、
皿の底から仏さまがそっとお顔を覗かせる。

「今日も、ごちそうさま」
思わず手を合わせてしまいそう。

ふふっ。

朝の食卓で仏さまとご対面とは、
なかなかありがたいではないか。

そんなことを考えていたら、
もうひとつ、
心に残っている白いものを思い出した。

先日飲んだ、真っ白な缶のビール。
ザ・プレミアム・モルツ。
その名も『余白の贅沢』
なんて素敵な名前だろう。

余白。

私はこの言葉が好きだ。
予定がびっしり詰まった一日。
考えること、やるべきことに追われる時間。
そんな日々の合間に、
ふっと何も書かれていない白い場所が生まれる。

つい、そこに新しい予定を
入れたくなることもある。
けれど今は、その空いた場所に、
何が舞い降りてくるのかを楽しみにしている。

風の音。
雲のかたち。
昨日見た月の残像。
誰かの何気ないひと言。
そして、思いがけず生まれる小さな物語。

白い缶を眺めながら思った。
余白は、たしかに贅沢だ。
でも、余白があれば
誰でも贅沢を感じられるわけではない。

その時間を退屈と感じることもできるし、
何も生まれない空白だと思うこともできる。
反対に、ほんの短いひとときに、
心が満たされることもある。
要するに、余白を贅沢にするのは、
余白そのものではない。
それを贅沢だと思える心なのだ。

あら。

これって、目玉焼きと同じではないか。
黄身がちょうどよく仕上がったことを、
ただの調理結果として見過ごすこともできる。

一方で、「今日はいい日になりそう」と
喜ぶこともできる。
卵の値段が変わったわけでも、
食卓が豪華になったわけでもない。
変わったのは、
そこで幸せを受け取る心のほう。

もちろん、目玉焼きが失敗する朝だってある。
黄身が固くなったからといって、
一日まで台無しになるわけではない。
「明日はもう少しうまく焼こう」
そう笑えるなら、
その朝にも小さな余白はある。

余白を味わうには、
ただ時間が空くのを待つだけでは
足りないのかもしれない。

魅つめる。
気づく。
考える。
そして、自分なりに味わう。

そうやって日々の小さな出来事に
心を動かしているうちに、
何気ない暮らしの中にも、
思いがけない贅沢が見えてくる。

真っ白な缶と、真っ白なお皿。
片方には、
まだ何も描かれていないような余白。
もう片方には、その余白の中に佇む仏さま。

そして、そこへ載せてみたい、
いつもの目玉焼き。

ふふっ。

ずいぶん不思議な組み合わせになった。
でも、私には一本の線でつながっている。
幸せは、
いつも特別な装いをしてやって来るとは
限らない。

時には、パリパリの白身と、
しっとりした黄身の姿をしている。
そして時には、白い缶に書かれた、
たったひと言の中に隠れている。
「余白の贅沢」

今日もまた、その贅沢に気づける心でいたい。
まずは明日の目玉焼き。
うまく焼けたら、
きっと思うだろう。

あっ、

今日はなんだかいいことがありそう。

幸せは、
目玉焼きの焼き加減から始まるのだから。

— Morimura