今日は朝早くから予定がある。
だからこそ早めに起き、
心ゆくまで歩こうと外へ出た。

玄関の扉を開けると、
さーっと風が部屋へ吹き込んできた。
中庭では虫のかすかな声。

昨夜の雨をまとった木々から
雫がぽたり、ぽたりと落ち、
濡れた葉は夜の灯りに照らされて、
光と水のライトアップのように
浮かび上がっていた。

何度この庭の前を通ってきただろう。
それなのに、
こんなにも心を惹きつけられたのは
初めてかもしれない。
横浜でたくさんの風景を拾い、
感じ、心へ染み込ませてきた種が、
私の中で育っているのだろう。

「風さん、おはよう」ふわりと頬を撫でる風。
歩を進めると、
虫の大合唱に鳥のソプラノ、
低く響くバス、カラス、電車、
水の音まで加わった。
いつしか朝の世界そのものが
オーケストラになっていた。

曲がりくねった人生の小道のような坂を上る。
息が弾み、腕の振りが大きくなると、
虫たちの声まで大きくなる。
私、コンダクターみたい。
腕を振れば鳥が歌い、
虫が応える。
風さんまで楽団へ合図を送っているようだった。

けれど、あなたとの思い出の場所では
旋律が静かになった。
そっと手を合わせる。
「私、元気にやってるよ」それだけ。
虫たちの声が、
静かなレクイエムのように心へ染み込んだ。

再び歩き出し、空を見上げる。
漆黒のベールは少しずつ薄いグレーへ。
けれど一気に空色にはならず、
脱いではまたかぶるように揺れながら、
ゆっくり朝へ向かっていた。

私は、この移ろいが好きだ。
移ろうということは、
生きているということだもの。
過ぎ去るものを惜しみ、
新しくやってくるものを迎える。
そして迎えたものも、いつか過ぎていく。
だからこそ、今を思う存分楽しみ、
愛で、味わいたい。
それが季節を味わう心なのかもしれない。

サンクチュアリーに着く。
町も、自然も、雲も、風さんも、
そして私も生きている。
その鼓動が薄いグレーの空へ
こだましているようだった。

やがて朝の交響詩はフィナーレへ。
私は心の中で両腕を大きく振り、
最後にぎゅっと拳を握った。
ピタリ。
終演。

……のはずが、
虫たちは知らん顔で歌い続けている。
これはきっと退場のBGMね。
静かな余韻に送り出され、再び歩き始める。

空には銀の翼を広げ、
天空へ羽ばたく鳥のような雲。
昨夜の二筋の稲妻がふと心をよぎった。
さらに大きな雲が、
両腕を伸ばして
何かを拾っているように見えた。
太陽神に仕えるお使いの神様が、
うっかり落とした未来の地図を
拾いに来たのかもしれない。
少し見てみたい。
でも、知らないからこそ
今日を歩くのは面白い。

ゴールで振り返ると、
薄いグレーとピンクゴールドの雲が
幾重にも滑らかに重なっていた。
きっとお使いの神様が、
慌てて乱した空を帰り際に、
ふうっと息を吹きかけて
整えていったのだろう。

朝の交響詩の余韻を胸に、
私は今日という一日の物語へ歩き出した。