定例会が終わり、
会社のデスクもきちんと整った。
ちょうどその頃、
タイミングよく来客があった。
とはいっても、
ご挨拶がてら少し雑談をした程度。
お見送りをしたあと、
その流れをうまく見計らって、
私も会社を出た。
今日は少し余裕を持って帰ることができた。
これなら荷物まとめの仕上げも
慌てずにできるし、
お昼ご飯も家族とゆっくり食べられそう。
そう思って、
家族が食べたいと言っていたものと、
晩ごはんのおかずを買って帰ることにした。
途中、和菓子屋さんの前を通る。
もう月見団子が並んでいた。
里芋の形をしたお餅を、
こしあんでくるりと巻いた月見団子。
私、これが結構好きなんだ。
買って帰りたい気持ちが
むくむくと湧いてきたけれど、
ぐっと我慢した。
月見は、まだ少し先。
これはまた次に帰ってきたときの
楽しみに取っておこう。
今日の私には、
いただきもののへぎそばがある。
最初はざるそばにして、
上に少し野菜と韓国海苔を
散らそうと思っていた。
あまり主張しないそばの味わいに、
野菜のしゃきっとした食感と、
海苔の香りを少しだけ重ねる。
つるっとした喉越しの途中に、
サクサクとしたアクセントが入るのも
おいしそう。
そんなことを考えていた。
そばの箱の中には、
小さなしおりのようなものが入っていた。
私はこういうものを読むのが結構好きだ。
へぎそばという名前は知っている。
でも、なぜ「へぎそば」というのだろう。
へぎというのは、
昔、お寿司やおにぎりを包んでいた
木の皮のことだろうか。
そんなことを考えながら読み進めていった。
新潟のそばだということを知り、
さらに読んでいくと、
そこには土地の暮らしや
気候の中から生まれた知恵が
詰まっているように思えた。
どうしてこのそばは少し緑がかっているのか。
なぜ、あんなにつるっとした
独特の喉越しになるのか。
どうして新潟で生まれたのか。
そして、布海苔を
そばに練り込むようになった理由。
ひとつひとつ知っていくうちに、
ただのそばだったものの奥から、
少しずつ土地の姿が見えてきた。
昔の新潟の人たちも、
こうしてこのそばを食べていたのかな。
冬には深い雪が積もり、
土地ごとの暮らしがあり、
その中で生まれた知恵が、
こうして一杯のそばになって
今まで残っている。
そう考えると、
たかがそば、ではなくなってきた。
そして私は、ちょっと後悔した。
最初は「何も主張しないそばだから」と、
野菜や韓国海苔で
アクセントをつけようとしていた。
でも違った。
主張しないように見えていたそばの奥で、
土地の記憶が静かに存在を主張していた。
これは、まずそばだけで味わった方がいい。
家に着き、
買ってきたものを家族の前に並べながら、
「これは今日の晩ごはんね」
「これは食べたいって言ってたやつ」と、
ひとつずつ報告する。
家族が嬉しそうな顔をすると、
私まで嬉しくなる。
その間に、大きなお鍋にはたっぷりのお湯。
沸騰したところへ、そばを入れた。
ここから5分。
まだお昼には少し早い。
けれど、待っている5分がなんだか長い。
へぎそばの由来を知ったあとだからだろうか。
鍋の中で揺れるそばを魅ているだけなのに、
どこか遠い新潟の空気まで
漂ってくるような気がする。
まだ、ひと口も食べていない。
それなのに私はもう、
そばの向こうにある土地を、
そこで暮らしてきた人たちの時間を、
少しだけ味わい始めていた。
あと少し。
早く、つるっと食べたい。
ひと口の前に、新潟を味わう🥢
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