家族とは
少し名残惜しい別れ方になったけれど、
予定通りに家を出た。

すると、また雨が降り出してきた。
嫌だなあ。
横浜に着いても雨なのかな。
そう思ってスマホで天気予報を確認すると、
私が着く頃は曇りの予報だった。
とりあえず、よかった。

今日は朝から、
仏様のポケットからいただいた
奇跡のようなプレゼントが、
ずっと心に残っている。
そのせいか、なんだか朝から調子がいい。
何事もするすると進んで、
私が描いた未来の地図の通りに
一日が動いているように感じる。

けれど、人の気持ちは、
地図に引いた一本の線のようには進まない。
進む方向が決まっていても、
ときどき立ち止まる。
後ろを振り返ったり、
名残を惜しんだり、
これからの予定に思いを馳せたり。
気持ちはゆったりと揺れながら、
少しずつ形を変えていく。
そして、その移ろいの中で
ふっと出口を見つけると、
また自分で描いた
未来の地図の上を歩き始める。

今日は、その感覚がとてもよくわかる。
まるで、夏から秋へ季節が
移っていくときのように。
ある日はまだ夏の暑さが残っていて、
次の日には風だけが少し秋になる。
食卓には、一足先に秋の料理が並び始める。

二つの季節が、
しばらく同じ場所に一緒にいる。
今の私の心も、それと同じなのだと思う。
家族のもとに残る心と、
横浜へ向かう心。
今ここにいる私と、
未来の地図を歩いていく私。
二つの心が行ったり来たりしている。

その様子は、綱引きというより、
潮の満ち引きに近いのかもしれない。
寄せては返し、返してはまた寄せる。
あちらへ心が傾いたかと思えば、
次の瞬間にはこちらへ戻ってくる。
でも海は、迷っているわけではない。
潮はただ、時の流れに合わせて
移ろっているだけ。
私の心もきっと同じなのだろう。

悩んでいるわけでもない。
迷っているわけでもない。
ただ、移ろっている。
そして季節と同じように、
時が来れば自然と進む方向が決まる。

だから、それまでは
無理に答えを出さなくてもいい。
この行ったり来たりする心さえも、
季節の変わり目のように楽しめばいい。

そんなことを考えていたら、
そろそろこの移ろいの時間も
終わりに近づいてきたみたい。
なんだか急に眠たくなってきた。
お昼ご飯を食べて、そのまま眠ってしまおう。

え、さっきへぎそばを食べたんじゃないの。
そう思う人もいるかもしれない。
でも実は、
私は一度にたくさん食べられないから、
へぎそばは半分だけ。
50gほどしか食べていない。
残りの半分は、
つゆと一緒にパックへ入れて持ってきた。
今日の夜か、
明日にでも食べようと思っている。

だから、お腹の中にはまだ
サンドイッチが入る余白が
ちゃんと残っているのだ。
サンドイッチを食べたら、少し眠ろう。
答えを決める夢ではなく、
寄せては返す潮のように、
心がゆっくり移ろっていく夢を見ながら。