傘を叩く雨音の向こうから、
遠いピアノの音が聞こえてきた。

『乙女の祈り』

小学生だった私は、
少し得意げに鍵盤へ指を走らせていた。

父に褒めてもらいたかったのだろうか。
誰かの前で弾くことが、
少し誇らしかったのだろうか。

あの頃の父は大きくて、
少し怖くて、
それでも振り返れば
いつもそこにいる人だった。

やがて私は大きくなった。

父の言葉を窮屈に思い、
守ろうとする手を振りほどき、
初めて真正面からぶつかった。

私はもう子どもじゃない。

そう伝えたかった。

そのときはまだ、
父の言葉の奥にあるものまで
魅ることができなかった。

離れてしまった心を
もう一度つないでくれたのは、
父から届いた一通の手紙だった。

そこには、
私の知らなかった父がいた。

父になることを知らないまま父になり、
不器用なまま
私を愛そうとしていた一人の人がいた。

その手紙を読んだ若い私は泣いた。

そして長い時間が流れた。

今、
父が生きていた頃の年齢へ
少しずつ近づいていく私は、
あの頃よりずっと
父の心がわかるような気がする。

子どもの頃には
見上げていた愛。

若い頃には
振りほどこうとした愛。

手紙の中で
初めて触れた愛。

そして今は、
思い出すだけで
静かに心へ染みてくる愛。

同じ父と娘なのに、
愛はこんなにも
形を変えてゆくのだろうか。

それとも愛はずっと同じ場所にいて、
変わっていったのは
私の方だったのだろうか。

ポツリ。

また雨粒が傘を叩いた。

その音が心へ落ち、
小さな波紋を描く。

その波紋の向こうで、
小学生の私が
『乙女の祈り』を弾いている。

そして、そのそばに父がいる。

もう会うことのできない人なのに、
今朝はどうしてこんなに近いのだろう。

お父さん。

あの頃より今の方が、
あなたを近くに感じます。

雨がまた傘を叩く。

ポツ、ポツ、ポツ。

私はその音を聞きながら、
ふと思った。

これから雨の日に
この音を聞けば、
私はきっとあなたを思い出す。

だったら、この雨音が奏でる曲に
私だけの名前をつけよう。

「雨音は乙女の祈り」

今朝、
雨粒と記憶と父への想いが重なって、
私の中に生まれた新しい旋律。

雨音は、
遠い昔を連れてくる。

そして昔の愛を、
今の私の心へ
もう一度新しく届けてくれる。

お父さん。

これからも私は、
雨の日にはあなたを想うのでしょう。

そしてあなたに誇れる私でありたいと
願いながら、

今日もまた、
私の人生を歩いていく。