朝の風に包まれながら、
私は空を見上げて歩いていた。

曇り空の中に、
ふっと透き通るような空色が開いていた。
その向こうには白い雲が浮かび、
そこだけが不思議なくらい
光をまとって魅えた。

風は強い。
時折、私の体を押すように吹き抜けていく。
けれど嫌な風ではなかった。
まるで、
「こっちへおいで」
と、どこかへ私を
連れていこうとしているような風だった。

そんな空を眺めながら歩いていると、
一つの雲が目に留まった。
馬。
そう魅えた。

ただの雲なのに、
一度そう思うと、もう馬にしか見えない。
その瞬間、私の心の中に、
遠い昔のひとりの王子が浮かんだ。
厩戸の王子。

どうして今、この朝に。
そう思ったけれど、心というものは不思議だ。

ひとつの雲が、
長いあいだ閉じていた扉を、
何の前触れもなく開いてしまう。

若い頃、私はこの王子に惹かれていた。
遠い古代の人なのに、
その人が何を思い、
何を魅つめ、
何を願ったのかを知りたくて仕方がなかった。

そこから奈良の古代へと
心を遊ばせた日々まで、
次々によみがえってくる。

風に押されるたび、
私の心は今いる横浜から少しずつ離れ、
遠い大和へ向かっていった。

不思議だった。
今朝、あの雲を見なければ。
あの雲が馬の姿に魅えなければ。

私は、こんなふうに
厩戸の王子を思い出すことも
なかったかもしれない。
若い頃の私に、
再び出会うこともなかったかもしれない。

ほんの一瞬の雲の形が、
こんなにも遠い時間を連れてくる。
空は同じ場所にあるのに、
私の心だけが時代を越えていく。

風に吹かれながら歩いているうちに、
私はもう、いつもの朝の道だけを
歩いているのではなくなっていた。
遠い昔へと続く道を、
どこかで歩き始めていた。

そしてその先に、
私の心のサンクチュアリーが待っていた。