別れがたい思いを胸に抱きながらも、
次に逢える約束がある。
そう思って、あなたと別れた。
そして車に乗り、次のホテルへ向かった。

そのホテルは、
毎朝のウォーキングで
何度も前を通っている場所だった。

老舗のホテルだと聞いていたから、
朝の静かな時間に
その佇まいを眺めながら歩くのが、
私はなんとなく好きだった。

いつか一度、中に入ってみたい。
そんなふうに思っていたけれど、
まさか今日、
その願いが叶うとは思ってもいなかった。

朝も、私はこのホテルの前を通った。
そして、その15時間後。
今度は私は、そのホテルの中にいた。
朝には外から眺めていた場所を、
夜には内側から見ている。
そんな不思議な巡り合わせを感じながら、
エレベーターに乗り、
あなたの待つお部屋へ向かった。

そして、次のドアが開きました。
迎えてくださったのは、
穏やかな笑顔が素敵な、優しいあなた。
「わあ、私、
このホテルに来たの初めてなんです」
そう言うと、
「ここは横浜では有名らしいね」
あなたもそう言って、
自然とホテルの話に花が咲いた。

そして私は、
このホテルに縁のあるひとつの詩のことを
思い出していた。
サミュエル・ウルマンの『青春』
青春とは、ただ年齢のことではない。
胸の中に理想や情熱を
持ち続ける心のあり方なのだ。
私はこの詩が昔から好きだった。

いくつになったとしても、
何かに心を動かされ、
誰かに逢うことを楽しみにし、
知らない景色に
胸をときめかせることができるなら、
その心にはまだ青春が宿っている。
そんなことを、
私もいつもどこかで思っている。

そして今夜。
その詩を思い出すようなホテルで、
あなたと横浜の夜景を眺めていた。 
「夜景、見せてください」
そう言って窓辺へ向かう。
そこには、いつも朝に見ている
横浜とはまったく違う顔があった。

海辺の街に無数の灯りがともり、
水面にはその光がゆらめいている。
朝には静かで柔らかかった街が、
夜にはきらびやかな装いをまとっていた。
同じ横浜なのに、
こんなにも違う。
その景色が、とても素敵だった。

そして、そのロマンチックな夜景の中で、
私はあなたにそっと触れた。
あなたも、
私の温もりを受け止めてくださった。
今度はあなたの腕が、私を包む。
その腕の中は、とても温かかった。
私はそのまま、あなたの胸に体を預けた。
ぎゅっと包まれながら、
あなたのぬくもりと胸の鼓動を感じていた。

するとあなたが、
「こうしているのって、すごくいいね」
そう言ってくださった。
私も同じだった。

あなたの胸の中は、とても居心地がよかった。
言葉をたくさん交わさなくてもいい。
ただ温もりを感じながら、
同じ夜景を見ている。
それだけで時間が
ゆっくり流れていくようだった。

海辺の老舗ホテル。
窓の向こうには、光をまとった横浜の夜。
その中で、
あなたと私は
ひとつの小さな横浜物語を紡いでいた。

別れ際、
「またお逢いできたら嬉しいです」
そう言うと、あなたは、
「またこのホテルで逢いましょう」
そう言ってくださった。
その言葉が嬉しかった。

そして、あなたと別れた。
ホテルを出たあとも、
あの夜景は心の中に残っていた。
朝に見た横浜の海とは違う、
きらびやかな夜の海。

朝と夜。同じ場所なのに、
こんなにも違う表情を見せてくれる。
そして人の心もきっと同じなのだろう。
時間によって、
出逢いによって、
触れた温もりによって、
いくつもの表情を魅せる。

今夜、私の心に残ったのは、
横浜の夜景だけではなかった。
あなたの腕の温もり。
胸の鼓動。
そして、「またこのホテルで」という、
次へ続く言葉。

海辺の光はもう遠ざかっている。
けれど、その夜のきらめきと温もりは、
まだ私の胸の中で静かに灯り続けていた。