3時のアラームで、さっと目を覚ました。

いつもとは違う部屋。
広げたキャリーケース、段ボール箱。
そして水分を取るために
キッチンペーパーを
いっぱい詰め込んだHOKA。
今日はこのまま下駄箱行きだ。

少しこもった部屋の窓を開ける。
外の空気がすっと入り込み、
やっと呼吸ができたような気がした。
その空気の中に、古都の香り、
そして紀州の香りまで感じる。

お風呂のお湯をためながら、
ぼんやり窓の方を見る。
車の行き交うゴーという音。
レースのカーテン越しには、
道路の両端に四つの白い灯りが見えた。

星みたい。
手前のひとつだけがひときわ明るい。
一等星なのかもしれない。

熱いお風呂に入った。
9日間の横浜ステイでかいた汗が、
いっぺんに流れ出していくようだった。
でも、すべてが流れてしまうわけではない。
必要なものだけは、
ちゃんと私の中に残っている。
そんな気がして、少し心が軽くなった。

最後の野菜ジュースを飲む。
昨日は甘かったのに、
今日はほのかな甘みの奥から酸味が広がった。
味覚も移ろう。
そう思ったら、
視覚も、
聴覚も、
嗅覚も、
触覚も。

五感すべてが、
その時の心と一緒に
移ろっているのかもしれないと思った。

冷蔵庫から電車で食べる朝ごはんを取り出す。
これで私のものは何ひとつ残っていない。
寂しい、ではなかった。
惜しい。
その言葉の方が、今の心には近かった。

お風呂を洗い、
キッチンを整え、
シャンプーなどのボトルを
一本ずつ拭いて片付ける。
ドライヤーが消え、
ヘアミストもワックスもオイルも消えた。

朝まで残していたものが、
一つ終わるたび、
一つずつ部屋からなくなっていく。

途中でコーヒーを一口。
ほろ苦い。
今の私みたいだと思った。

心はもう半分以上、次の場所へ向かっている。
それなのに私はまだここにいる。
そのことへの、
ほんの少しの後ろめたさまで
溶け込んだような苦さだった。

メイクを終え、最後の荷物を収める。
シュッ。
キャリーケースのファスナーを閉める。
カチッ。
その小さな音で、
私の中のモードが8割ほど切り替わった。

最後に、
一枚だけ残しておいたタオルで床を拭く。
9日間暮らした私の足跡をきれいに拭き取る。
飛ぶ鳥、跡を濁さず。
部屋をぐるりと見渡す。
OK。

「それでは行ってきます。また帰ってくるから」さよなら、とは言わなかった。
ドアを閉め、外へ出る。

暗がりには、モチおじさんとなぞちゃん。
眠たい目をこすりながら、
それでも見送ってくれているように魅えた。

また早く帰ってきてね。
そんな声が聞こえた気がした。

風さん、さあ出発しよう。――そうだね。
まずは鍵を返しに行こう。
そして、駅へ。

9日間を過ごした部屋から、
私の気配が静かに消えた。
けれど、私の中には、
この部屋で過ごした時間が
ちゃんと残っている。

だからこれは、さよならではない。
また帰ってくるための、行ってきます。