深紅抱き
風に誘われ
朝をゆく
白無垢ひらく
無垢なるこころ
— Morimura
若様、負けちゃったね。
今朝ばかりは、あの子の白さに。
昨夜、眠る前に
ほんの少しだけ逢おうと思って、
鬼の若様の扉を開けかけた。
けれど、眠気のほうが一枚上手だった。
扉はそのまま静かに閉じられ、
私は眠りの中へ。
そして朝。
目覚めたばかりの心には、
なぜだか深紅の炎が小さく灯っていた。
これまで私の時間の中を通り過ぎていった人。
今もどこかで私を思い出してくれる人。
そして、これから扉の向こうで
逢うかもしれない人。
そんな、たくさんの「あなた」を
ひとつずつ思い浮かべるのではなく、
ただその温もりだけを胸の中に抱いていた。
風に誘われるまま、
深紅の炎を抱きながら、
あなたを思いながら、
今から行ってきますね。
そんな言葉を心の中で転がしながら、
ウォーミングアップのストレッチをしていた。
そのとき、私の目の前に現れたのが——
真っ白な、ふわふわの大きな犬だった。
目が離せない。
私が四つん這いになったって、
まだ一回りほど大きそう。
ふわふわとした純白の毛は、
毛足の長い真っ白なラグのようだった。
寝転べば、
そのまま雲の上にいるような
気持ちになれそう。
しかも、
その大きな犬が魅つめ合っているお相手は、
めちゃくちゃ小さい。
あの大きな前足で、
ぽん、とされたら
飛んでいってしまいそう。
それほど違う二匹なのに、
吠えることも喧嘩することもなく、
なんだかおしゃべりでもしているように
魅つめ合っている。
かわいい。
やがて私の隣を通り過ぎようとしたとき、
思わず尋ねた。
「すごく素敵な犬ですね。
なんという犬なんですか?」
グレート・ピレニーズ。
初めて聞く名前だった。
ピレネー山脈で、
羊の群れを守ってきた大きな犬。
その真っ白な姿が、
朝の伊勢佐木町をゆったりと遠ざかっていく。
まるで雲のかけらが
地上を歩いているみたいだった。
白無垢。
純白。
無垢な心。
深紅を抱いて歩き始めたはずなのに、
最初に私の朝へ飛び込んできた色は白だった。
「風さん、おはよう」
巡り木のモチおじさんとなぞちゃんにも、
おはよう。
今日はふたり揃って枝を揺らしながら、
行ってらっしゃい、
と手を振ってくれているようだった。
でも、なぞちゃん。
もしかして、
あなたもあの白い犬に心を奪われちゃった?
なんだか少し心ここにあらず。
そんなふうに魅えて、ひとりで笑った。
空を見上げる。
そこにも、ふわふわ。
けれど犬のような純白ではなく、
薄いグレースケールをまとった空だった。
少し大人の、ほろりとした味わいのある白。
きっと胸に抱いていた深紅の炎が、
今、すーっと私の中へ
溶け込んでいる最中なのだ。
やがて海の方から、
大きな波のような風がやってきた。
ふわっ——。
体まで舞い上がりそうになり、
帽子がぴゅっとさらわれそうになる。
思わず両手で押さえた。
風さんったら、朝からずいぶん大胆ね。
でも、その風のひと波が通り過ぎたとき、
深紅の炎は
すーっと心の奥へ吸い込まれていった。
消えたのではない。
きっと、居場所を見つけたのだ。
そして、あとに残ったものは——白。
ふわふわの白。
白無垢のような白。
純真な白。
汚れのない白。
その白を抱いたまま、新港中央広場へ入った。
入口で迎えてくれたのは、
白いコスモス。
細い茎を大きくしならせ、
風に煽られながら、
それでも懸命に咲いている。
ああ、また白。
広い広い場所の中に、
ぽつんと咲く小さな存在。
けれど風に逆らわない。
右へ、左へ。風さんと呼吸を合わせるように、
しなやかに揺れている。
その姿を見ていたら、
ふと昔読んだ言葉が蘇った。
『置かれた場所で咲きなさい』
この言葉が、私はずっと好きだった。
どんな場所に置かれても、
私は私を咲かせることができる。
風が強いなら、風と一緒に踊ればいい。
そして、
そこで懸命に自分の花を咲かせればいい。
真っ白な犬から始まった今朝。
白無垢になった心。
ふわふわの空。
そして、風に揺れる白いコスモス。
今朝はどこまで、
白が私を連れていくのだろう。
まだ何色になるのかは知らない。
それでいい。
今はただ、この白のままで歩いてみよう。
今日という一日が運んでくる色を、
まっさらな心で受け取るために。
白無垢、朝にひらく✨
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