白いコスモスに見送られ、
私はまた歩き始めた。

海から届く大きな風を、
何度も何度も体いっぱいに受けながら。

そして信号待ち。
何気なく赤レンガ倉庫の方へ目をやると——

あれ?いつの間に、
こんな門ができたのだろう。
白を基調に、淡い緑で縁取られた大きな門。

「YOKOHAMA OKTOBERFEST」

かわいらしい。
なんだか、もう入ってみたい。

この向こうには何があるのだろう。
何が食べられるのだろう。
そんな乙女心までくすぐられる。

昨日見た白虎の門が、
神々しい世界への入口だったとしたら、
今日の門は、
扉を開けばそのまま
ファンタジーの世界へ迷い込んでしまいそう。

同じ白。
そこに添えられた、淡い緑。
似た色なのに、こんなにも違う。

でも、その緑を魅つめているうちに、
今朝まっさらになった私の心にも、
ほんの少し緑が
差し込んできたような気がした。

緑。木々や草花を思わせる、
心を穏やかにしてくれる色。

大丈夫。

そんなに急がなくてもいいよ。
そう語りかけながら、
自然の中へ心を連れ戻してくれるような色。

すると、昨日の白虎が心に浮かんだ。
西を司る、白き聖獣。
西は、陽が沈んでゆく方角。

一日のざわめきも、
疲れも、
言葉にならなかった思いも、
沈む陽と一緒に静かに受け止めてくれる場所。

終わる場所ではなく、
また輝くために心を休ませる場所。

そう思ったら、
白虎の白まで優しく魅えてきた。
昨日は、その強さを魅た。
今朝は、その白の中にある優しさを魅た。

そして、ふと思う。
私は昨日から、いくつもの海を泳いできた。
ひとつの海を脱ぎ、
またひとつの海を脱ぎ。
昨日から抱えてきたいくつもの思いを、
まとっていたものを
一枚ずつ脱いでいくように、
静かに手放してきた。

でも、人の心って不思議。

「あ、これはもう脱ごう」そう思って、
自分の手で脱げる思いもある。
残っていることにさえ気づかない、
小さな思いもある。
そして——決して手放したくないものもある。

ずっと覚えていたいもの。
心のいちばん奥に、
大切にしまっておきたいもの。

そんなものまで、
全部一緒に脱ぎ捨てる必要なんてない。

白虎が、私の心の中を駆け巡る。
そして奥に残っているものを、
ひとつ、
またひとつと
引っ張り出してくれているような気がした。

でもね。白虎は、
きっと全部は持っていかない。
これは、もういらないね。
これは、そろそろ手放してもいいね。
でも——
これはあなた、
大切にしまっておきたいのでしょう?

そんなふうに私より先に心を見透かして、
大切なものだけは、
そっと元の場所へ戻してくれる。

だって白虎は、神聖な聖獣なのだから。

そう思った瞬間、
今朝出逢ったグレート・ピレニーズが、
もう一度心に浮かんだ。

ふわふわの純白。
そして、あの穏やかで無垢な瞳。
もしかしたら、あの子は今朝、
私が受け取った
白い贈り物だったのかもしれない。

何もかも忘れなさい、ではなく。
何もかも捨てなさい、でもなく。
大切なものは、大切なままでいい。
その代わり、もういらなくなったものだけ、
ここへ置いていきなさい。

そんな白い贈り物。

昨日は私から白虎に逢いにいった。
今朝は白虎の方から、
大きな白い犬に想いを託して、
私のところへ白を届けてくれた。

そんな朝があったって、いい。

そして気づけば、
胸の奥には今朝の深紅が静かに灯ったまま。

それは、白虎が持っていかなかったもの。
私が大切にしまっておきたかった
ものなのだろう。

白の中に、緑が差す。
その緑が、
まだ心のどこかに残っていた昨日の欠片を、
優しく、なめらかに溶かしていく。

すーっと。

心の真ん中が軽くなった。

そのとき、
風さんがたくさんの風を連れてやってきた。
「風さん、
今日はいっぱいお友達を連れてきたのね」

——そうよ。
みんなで、あなたの心を
さーっと風通しよくしてあげるの。
だからきっと、
ここからいろんなものが魅えてくるよ。
いろんなものが、あなたの心に入ってくるよ。

楽しみね。
「ありがとう、風さん」
私も今、まさにそんな気分。

何かを見つけなくちゃ。
何かを感じなくちゃ。

そんなふうに探さなくてもいい。
ただ心の窓を開けて、歩いていればいい。

拾おうとしなくても、
心の方が自然に拾ってくれる。

白くなった心に緑が差し、
そこを風さんたちが駆け抜けていく。

昨日は、私が白虎を探した。
今日はもう、探さなくていい。
必要なものはきっと、
向こうから私を見つけてくれる。