白い紙を前に、筆を持つ。
今日、ここに入れたい一文字は――
紋。
今朝、濡れた歩道を歩く私の耳に、
キュッ、キュッという音が響いた。
その音から「心ならし」という言葉が蘇り、
やがて心に浮かんだのが、
枯山水の砂紋だった。
私は昔から砂紋が好きだった。
寺の庭に広がる白砂。
そこに描かれた、幾筋もの流れ。
大きくうねるものもあれば、
小さく静かに流れるものもある。
幾重にも重なり、
やがてひとつの大きな流れに
なっていくものもある。
昔、お寺でその庭を眺めていたとき、
人生の波にも重ねられるのだと
聞いた記憶がある。
人生も、きっとそうなのだろう。
穏やかな日ばかりではない。
大きく心が揺れる日もあれば、
何事もなかったように静かに流れる日もある。
今朝、海で見た水紋もそうだった。
風に波立つ水紋。
ゆるやかに溶け合う水紋。
そして海の上を、
一本の白い泡の道となって伸びていった流れ。
そう思ったとき、
「紋」という一文字が急に大きくなった。
波紋。
砂紋。
水紋。
家紋。
そういえば中華街の門にも、
美しい紋様があった。
昨夜、空に見たペルシャ絨毯のような
鮮やかな色彩にも、
幾重もの糸が織り上げた紋様があった。
ならば、人の心にも
「紋」があるのではないだろうか。
心の紋。
人と逢って心が動く。
風景を見て心が震える。
言葉に触れて波立つ。
その一つ一つが見えない紋となり、
幾重にも重なって、
少しずつ私という人間を形づくっていく。
遠い昔、内村鑑三の『後世への最大遺物』
を読んだ。
財産や大きなものを遺せなくても、
人には遺せるものがある。
その人が、どう生きたのか。
あの小さな本を閉じたとき、私は思った。
私も、自分の人生を遺したい。
今なら、その思いに
もうひとつ言葉を添えられる。
私は、私だけの紋を遺したい。
心のままに言葉を綴りたい。
心のままに歌を詠みたい。
詩にして詩いたい。
一筆、筆を入れたい。
そして心のままに記憶を旅し、
日本酒の小径、
蕎麦の小径、
歴史の小径――
まだ知らないいくつもの小径を歩いてみたい。
そこで見たもの、
感じたもの、
心を震わせたものを、
ひとつずつ私の中へ重ねていく。
それは家から受け継いだ家紋とは違う。
誰かから与えられるものでもない。
今日を生き、明日を生き、
ひとつの心模様を重ねるたびに、
少しずつ描かれていくもの。
完成する日など、なくてもいい。
生きている限り、描き続ければいい。
いつの日か振り返ったとき、
これが私。
そう思えるひとつの紋が、
そこに浮かび上がっていたらいい。
白紙を前に、筆を持つ。
まだ何も書かれていないように見える
この白も、決して空っぽではない。
これまで私が生きてきた、
無数の色を抱いた白。
その白へ、
今日の私を一筆。
紋。
触れしもの
心に重ね
紋となる
わが生きし日を
白に刻まん
— Morimura
一筆入魂|「紋」
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