今日、私が書きたい一文字は、「孝」

「孝」と聞けば、
親孝行という言葉が真っ先に浮かぶ。

けれど今日、
私の心に浮かんだ「孝」は、
それとは少し違う。

家族への「孝」

久しぶりに見た、こぼれるような笑顔。
その顔を見た瞬間、
私の心の奥から最初に出てきた言葉は、

守ってあげたい。
だった。

寂しさから。
心細さから。
悩み事から。
家族を悲しませる、
すべてのものから守ってあげたい。

それは今日突然生まれた思いではない。
いつも心のどこかにある。

けれど、離れていた時間が
あったからなのだろうか。

久しぶりに逢った今日は、
その思いが
いつもより大きく、濃く、
そして密度の高いものになっていた。

ご飯を食べに連れて行ってあげたい。
どこかへ一緒に出かけたい。
運転の練習にも付き合ってあげたい。
今日は一緒にいてあげたい。
ご飯を作って、
好きなものを食べさせてあげたい。

ひとつひとつは、ほんの些細なこと。

でも、家族が望むことなら、
できるだけ叶えてあげたい。

そして私は、
その先にある顔が見たいのだと思う。

「ありがとう」そう言って笑う、あの顔。

けれど、もし、
「何もしなくていいよ」と言われたら?

それでも私は、きっと考える。
本当に何もないのかな、と。

言葉にはしなかったけれど、
心の奥に小さな声が隠れてはいないだろうか。

無理に聞き出すのではなく、
さりげなく問いかけながら、
その声を探してみたい。

そして聞こえたなら、
できることなら叶えてあげたい。

私たちは、性格がまるで違う。
私はどちらかといえば、
外へ外へと向かっていく。

けれど家族は、おっとりとしていて、
自分の思いを強く外へ出すほうではない。
どこかで我慢していることもあるのだろう。
どこかで諦めてしまうことも
あるのかもしれない。

そんな姿を見ているからこそ、私は思う。

もっと広い世界を見てほしい。
いろんなところへ出かけて、
いろんなものを見て、
いろんなことを感じてほしい。
そして、その中から、
自分だけの「楽しい」を見つけてほしい。

やりがいだって、
机の上で一生懸命探して
見つけるものばかりではないと、
私は思っている。

歩いて、見て、感じて。
思いがけないところで心が動いて、
「あ、これ好きかもしれない」
そんな小さなときめきの積み重ねの先に、
いつの間にか見つかるものだってある。

だから私は、
ほんの少しだけ、
その最初の扉を開けてあげたい。

でも時々、思う。
私、出しゃばりすぎかな。
助けすぎているのかな。

守りたいからと差し出した手が、
その人が自分で歩こうとする力を
邪魔してはいけない。

だから「孝」とは、
何でもしてあげることではないのかもしれない。

手を差し出すこと。
そっと背中を押すこと。
隣を歩くこと。
そしていつか——その手を離すこと。

それもまた、「孝」なのかもしれない。

いつの日か。
家族が自分から外へ出て、
自分の好きな場所へ行き、
自分の楽しみを見つけて、
自分の人生を歩いている。

そんな姿を
少し離れたところから見られる日が来たなら、
私はきっと笑って言う。

あなたの人生、これからね。
そして、そっと自分自身にも言うだろう。

私、やったわ。

守ることだけが愛ではない。
いつか自分の手を
必要としなくなるところまで寄り添い、
その人自身の人生へ送り出すこと。

今日、私が大きな紙に書きたい、
「孝」という一文字には、
そんな願いまで込めてみたい。

手を添えて
いつか離して
見送れば
あなたの明日は
あなたのものに

— Morimura