十四代というお酒に初めて逢ったのは、
もうずいぶん昔のこと。
場所は、当時よく通っていた居酒屋だった。

居酒屋といっても、
よくあるチェーン店ではない。
お刺身は活け造りで出てきたり、
鰻をその場でさばいて蒲焼きにしてくれたり、
ときにはすっぽんまで登場する。

いいものを出してくれるのに、
それほど高くない。
私はその店が好きで、
仕事関係の方をお連れすることもよくあった。

ある日、東京から来られた方と
仕事の打ち合わせを終え、
少人数でざっくばらんに飲みましょう
ということになり、その店へお連れした。

どうやらその方は
日本酒がお好きだったらしい。
メニューを眺めていたその方が、
突然声を上げた。

「あっ、十四代がある」

十四代?

私はその名前を知らなかった。

おそらく、それまでもメニューには
ずっと載っていたのだと思う。
けれど、私の目には留まらなかった。

その方は十四代を注文した。
確か、「本丸」だった。
そして値段を見た途端、
今度は驚くどころか、何やら疑い始めた。

「安すぎる」

確か、一合850円ほどだった。

私には、その驚きの意味がよく分からない。

本醸造くらいのお酒なら、
一合850円って普通じゃないの?

ところがその方は、
「ちょっと瓶を持ってきてもらって」
と言い出した。

え?

瓶?

なぜ瓶を見るの?

聞けば、東京では「十四代あります」と
店先に出しておくだけで、
それを見たお客さんが入ってくるほどの
お酒だという。
しかも、こんな値段では飲めない。
だから、
本当に十四代なのか確かめたいらしい。

ほどなくして、
一升瓶がテーブルの上にドーンと置かれた。

私の記憶の中では、
赤い文字だったような気がする。
太い毛筆で勢いよく書かれた「十四代」
細かなところはもう曖昧なのに、
その力強い文字の印象だけは、
今も妙に残っている。

でも私は、その瓶を見てもまだ、
そんなにすごいの?だった。
なにしろ当時の私には、
大吟醸=いいお酒という、
実に分かりやすい物差しがあった。

だから本丸を見ても、大吟醸じゃないのね。
その程度だったのだと思う。
ところがお店の方に聞いてみると、
どうやら酒蔵側とお店に縁があり、
特別なつながりで入ってくるらしい。

へえ。
そうなんだ。

そうなると、急に面白くなってきた。
そんなにすごいお酒が、
この店ではこんなに安く飲めるの?
じゃあ、飲んでみよう。

一口。
確かにおいしい。
飲みやすい。

私の好きな、すっきりとした方向にも感じた。 

でも――「うわあ、何これ。
ものすごくおいしい!」とは、
ならなかった。

癖がなくて飲みやすいお酒。
私の最初の印象は、そのくらいだったと思う。

ところが、人間とは面白いものである。
その日を境に、
私はしばらく、十四代、十四代、十四代。
その店へ行くたび、
何度も飲んだような気がする。

では、そんなに味が好きになったのか。
今振り返れば、たぶん違う。
希少なお酒を、私はこんなに気軽に飲める。
東京なら、もっと高いらしい。
なかなか飲めないらしい。

そんなお酒を、
私はいつもの居酒屋で一合850円ほどで
飲んでいる。

きっと私は、
お酒と一緒にその「特別感」まで
飲んでいたのだ。
なんだか、ちょっと得をしたような。
ちょっといいものを知ったような。

「私、今、希少なお酒を飲んでいるのよ」
そんな気分まで肴にしていたのかもしれない。

その後、十四代の大吟醸を飲む機会もあった。
もちろん、おいしい。
けれど私には、
値段を知って驚くほど「ググッ」と
くるものではなかった。

そこで、ふと思う。

高いから、おいしいのだろうか。
それとも、高いと知っているから、
おいしく感じるのだろうか。

もし何も知らずに十四代を
一杯差し出されたら、
私は何と言うのだろう。

反対に、「これはなかなか飲めない、
とても希少なお酒ですよ」
そう言われてから口にしたら、
同じ一杯でも違う味がするのだろうか。

人の舌とは、
案外、素直なようで素直ではない。
値段も飲む。
評判も飲む。
希少価値も飲む。

そして、その酒にまつわる物語まで飲んでいる。

考えてみれば、あの頃の私だってそうだった。
十四代がおいしいから
何度も飲んでいたというより、
十四代を
この値段で飲めることがおいしかった。
そんなところもあったのだと思う。

でも、それもまた
日本酒の楽しさなのかもしれない。

今の私は、大吟醸でなければ、とも思わない。
純米吟醸でなければ、とも思わない。
日本酒のおいしさなんて、人それぞれ。
その日の気分。
その日の料理。
そして、その瞬間の自分の舌。
それに合う一杯を選ぶのが好きだ。

だから今、
目の前に十四代があったとしても、
「十四代だから飲まなくちゃ」とは思わない。

飲みたければ飲む。
でも、別のお酒に心が動いたなら、
そちらを選ぶ。
お酒の「おいしい」は
値札の中にあるのではなく、
飲む人それぞれの舌と、
その日の心の中にあるのだから。

そう考えると、
あの頃の私は十四代を飲みながら、
お酒だけではなく、
値段も、
希少価値も、
ちょっとした優越感も、
全部まとめて一合の徳利に
注いで飲んでいたのだろう。

それはそれで、なかなか楽しい一杯だった。

さて。
今夜なら、何を飲もう。
値札ではなく、今日の私に訊いてみよう。
ただし――酔っぱらって舌が怪しくなる、
その前に。
最初の一合くらいは、
大吟醸をゆっくり味わわせてね。

値札より
今宵の舌に
問いかけて
心が選ぶ
一合を酌む

— Morimura