人間ドックのプロローグを終えた。
今日はずいぶん長い山だった。
始まる前にも心がざわつき、
途中でも思うようにならず、
終わってからもまだ
言いたいことが残っていた。
それでも、ひとまず二つの山は越えた。
もう、それでよし。
そう思うことにした。
外へ出ると、
家族がすぐに迎えに来てくれた。
車に乗るなり、
今日あったことをひと通り話す。
待ったこと。
思うようにならなかったこと。
つい文句を言ってしまったこと。
すると案の定、
「やっぱりね」そんな顔をされた。
またCマークをつけられそうだな。
まあ、いい。
言うべきだと思ったときに言ったのだから。
でも、少し時間が経った今なら分かる。
あのとき矢面に立った人たちには、
少し悪かったかな。
そんなふうにも思える。
怒っていた私も私。
あとから振り返って、
ちょっと大人げなかったかな、
と思える私も私。
どちらも今日の私なのだろう。
家へ帰ると、まず何か食べたかった。
ずっと空っぽだったお腹へ
最初に入ったのは、
家族が作ってくれていたゆで玉子と、
ほうれん草の白和え。
そういえば昨日、
ほうれん草を見て驚いた。
一束が、とても高かった。
その一束を丸ごと使ってくれた白和え。
そう思ったら、
いつもより少しおいしく感じるから、
人の舌もなかなか現金なものだ。
もっと食べるつもりだったのに、
それだけで思いのほか
お腹がいっぱいになった。
あれだけ空いていたのに、不思議。
だったら、無理に詰め込まなくていい。
晩ご飯はこれから。
心にも余白がいるけれど、
お腹にも余白がいる。
そう思って、
晩ご飯まで少し空けておくことにした。
それから私は、いつもの日常へ戻った。
洗濯物を取り込み、
たたみ、
乾ききらなかったものはお風呂場へ移す。
魚をさばく。
料理をする。
一つずつ手を動かしているうちに、
さっきまでのざわざわした心も、
少しずつ静かになっていった。
気づけば、もう17時を過ぎていた。
約一時間。
ずいぶん集中していた。
少し頭を冷ましたくなって、外へ出た。
空には、今日もたくさんの雲。
朝とは違う色だった。
まだ青さを残した空。
白い雲。
そして、これから夕焼けへ向かう光を、
ほんのりまとい始めた雲。
その中には、
少し暗い雲も何層か重なっていた。
ああ。
今日の私の怒りも、
少し混じっているのかしら。
そんなことを思って眺めていると、
黒っぽかった雲が、
もこもこ、もこもこと動き、
周りの雲にほどかれるようにして、
少しずつ白へ戻っていくように見えた。
朝、私は山から湧き上がる白を見た。
そして、自分の手で白へ還していく、
そんなことを思った。
まさかその日のうちに、
自分の怒りまで
白へ還すことになるとは思わなかったけれど。
でも、それでいい。
怒ったことまで消さなくていい。
痛かったことも、
嫌だったことも、
文句を言った自分も、
全部今日の一部。
それをもう一度、
自分の手で拾い、
今の自分と重ねて、
また白へ還せばいい。
そんなことを思いながら空を見ていると、
突然、大きなものが魅えた。
龍。
長い長い身体を空いっぱいに伸ばした、
大きな龍。
白ではない。
夕焼けの光をまとった、金色の龍。
黄金色に輝きながら、
雲の中を悠々と進んでいる。
思わず笑った。
あら。
これは、
「今日はもう十分頑張ったから、
若様の世界へ行ってもいいぞ」
とでも言ってくれているのかしら。
それとも、
「俺の登場するところを早く見ろ」と
催促しているのだろうか。
どちらでもいい。
今日は朝から、
白を見て、
涙を見て、
風に遊び、
怒って、
また白へ還して、
最後には金色の龍まで見つけた。
ずいぶん忙しい心だった。
でも今は、少しだけ穏やか。
家の中には、晩ご飯の準備が整っている。
今日は、明日から離れる前の最後の晩餐。
もう少ししたら、家族と同じ食卓を囲もう。
その前に、ほんの少しだけ。
金色の龍に背中を押してもらって、
若様の扉を開いてみようか。
今日のクエストは、ひとまずここまで。
越えた山を振り返らず、
今は、夕暮れの空に浮かぶ龍を魅ていたい。
怒りさえ
夕雲ほどき
白へ還す
金の龍ゆく
今日の空かな
— Morimura
夕雲、白へ還る✨
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