土地を味わう立山というお酒に
初めて逢ったのは、遠い昔。
仕事で金沢を訪れたときのことだった。

打ち合わせを終え、
夜はシティホテルのレストランへ。

一緒にいた方が、
そのホテルの
総支配人と親しかったこともあり、
食事の席に一本の日本酒が届けられた。

大吟醸 立山。

確か、四合瓶だったと思う。

その頃の私にとって、
日本酒といえば、
お銚子に入った燗のお酒。
どちらかといえば、
冷たいビールの喉越しの方が好きだった。

だから「大吟醸」という言葉にも、
今ほど特別な意味を
感じてはいなかったと思う。

まずはビールで乾杯。
そして、冷えた立山をひと口。

え?

思わず、もうひと口。

日本酒って、こんなにするすると入るの?
それが最初の驚きだった。

水に近いような、すっとした口当たり。
冷たくて、喉越しもいい。
そして私の好きな、
きりっとした辛口の感じ。

おいしい。
するする。
また、するする。

その夜は洋食のコースだった。
和食ではない。
それでも不思議なくらい、
立山はその場に馴染んでいた。

シティホテルのレストラン。
きれいなテーブル。
おいしい料理。
そして、立ち居振る舞いの美しい人たち。
ホテルに長く関わってきた方々は、
さりげないエスコートがとても上手だった。

仕事で来ているはずなのに、
いつの間にか心は少し浮き立っていた。
そうして気持ちよく飲んでいたら――

あら。四合瓶が空っぽ。
自分でも少し驚いた。
すると間を置かず、
もう一本がテーブルへ。

まあ。なんて気前のいいホテルなんでしょう。
そう思って飲んでみる。

ん?

さっきと少し違う。

ボトルを見れば、
今度は大吟醸ではなく、純米吟醸だった。
そりゃそうよね。
大吟醸を二本も差し入れてくださるなんて、
さすがに申し訳ない。

というより、
きっと一本目を全部空けるとは
思っておられなかったのだろう。
でも、その心遣いがうれしかった。

そして純米吟醸を口に含む。
大吟醸のように、
すっと水のように入っていく
感じとは少し違う。
口の中で、ふわっ。
そんなふうに、味が少し広がるように感じた。

当時の私は、
香りまで丁寧に追いかける
余裕なんてなかった。

ただ、大吟醸はするする。
純米吟醸はふわっ。
それだけで十分楽しかった。

私にとって、初めての大吟醸。
初めての純米吟醸。
そして、
初めて「地酒って面白い」と思った夜。

その入口にいたのが、立山だった。

それから少し時が経ち、
また金沢を訪れた。

今度は、
「ホテルで食べてばかりでは面白くない。
外へ行こう」
そんな話になった。

ホテルを出て、さて店を探そう。
そう思った矢先、
偶然目に留まった小さなお店。

六人も座ればいっぱいになりそうな
細いカウンター。
奥には、小さな小上がり。
大将は一人。
何となく惹かれて、その扉を開けた。

そこからが、また楽しかった。
北陸の海の幸。
その土地ならではの食材。
どれもおいしい。
だったら――地酒めぐりをしよう。

立山から始まり、菊姫。手取川。天狗舞。
そのほかにも、並んでいる地酒をあれこれ。
今となっては名前を思い出せないものもある。
でも、楽しかったことだけは
鮮明に残っている。

夕方に入ったはずなのに、
気づけば閉店。
店を出るとき、看板に頭をぶつけて、ゴン。
そこで少し目が覚めたことまで覚えている。
ちゃんちゃん。

そんな夜、大将から聞いた話がある。
以前は京都で店をしていたという。

え?

京都で?

それなら、どうして金沢へ?

そう尋ねた私に、大将はひと言。

「北陸の食材に惚れました」

その言葉が、妙に心に残った。
惚れた。
ただそれだけ。
でも、その一言で十分だった。

料理人が、土地を移るほど惚れた食材。
その土地の海から揚がるもの。
山から流れる水。
そこで造られる酒。

その後、
北陸でガスエビという海の幸に出逢い、
「こんなものがあるんだ」と
感激したこともある。

そんな経験を重ねるうちに、
私の日本酒の味わい方は、
少しずつ変わっていった。

昔は、飲んで、おいしい。
水みたい。
ふわっとする。
それで終わっていた。

今は、もう少し向こうを見る。
ラベルを見る。
「立山」という文字から、
山並みを思い浮かべる。
そこに降る雨や雪。
そこから生まれる水。
北陸の海。
その海から届く料理。
その酒を出してくれる店。
その店に流れる空気。
一緒にいる人。
その日の会話。

私は今、一杯のお酒だけを
飲んでいるのではないのだと思う。

水を味わう。
土地を味わう。
海を味わう。
料理を味わう。
そして、その場所に流れている時間まで、
一緒に味わっている。

だから同じ立山を今飲んでも、
遠い昔の立山とは、
きっと違う味がする。

立山が変わったのではない。
私の舌が変わったというより、
私の味わい方が、深くなった。
そういうことなのだと思う。

今でも、お店で「立山」の文字を見つけると、
つい頼みたくなる。

あのホテルの夜。
するすると空になった四合瓶。
二本目の純米吟醸。
小さなカウンター。
地酒めぐり。
頭をぶつけた看板。
そして、「北陸の食材に惚れました」という、
大将のひと言。

一杯の向こうには、
こんなにもたくさんの風景がある。

私の日本酒の小径。

その最初の方で、

今も静かに立っている一本。

立山。

一献に
山海の景
溶け込みて
土地の息まで
今宵味わう

— Morimura