夜家族との最後の晩餐が終わった。

昨日、デパ地下で選んできたものに
少し手を加えたもの。
自分で作ったもの。
そして、焼いた魚。
気づけば、食卓は思っていた以上に
豪勢になっていた。

その中で一番おいしいと言ってもらえたのは、
昨日買ってきた湯葉巻き。
豆腐、銀杏、百合根、椎茸。
そんな具材を
湯葉でくるりと巻いたものだった。
そのままでも食べられる。
ポン酢につけてもおいしいらしい。
でも私は、ふと思いついた。

これ、和風のあんを
かけたらおいしいんじゃない?

思いついたら、やってみる。
即席で作ったあんを、とろり。
これが、なかなかおいしかった。
「やっぱり料理は創造よね」
そう言いながら、ひとり満足。

何かを一から考えるのも楽しいけれど、
すでにあるものに少し自分の色を重ねて、
別の一皿にしてみる。
料理も、言葉も、
どこか似ているのかもしれない。

今日は午後から、人間ドックのプロローグ。
思ったより時間がかかり、
家へ戻った頃には、
身体の方がすっかり空っぽになっていた。

朝歩きをしていたときだって、
白へ還るだの、
言葉の旅だの、
心の奥にあるものだの、
ずいぶん深いことを考えていたけれど、
その一方で、お腹は正直だった。

ぐう。
ぐう。

空腹にも負けず歩き、
午後のクエストも何とか越えた。
だから今夜の食事は、本当においしかった。

しかも、
こちらで家族と囲む夕食は今夜が最後。
明日の午後には、また横浜へ向かう。
そのことを心の隅に置きながら、
料理の感想を言い合い、
あれこれ話し、笑った。

そして今日、送り迎えをしてもらったことに、「ありがとう」と伝えた。
明日、もし行くなら運転の練習に付き合うよ。 そう言うと、
「じゃあ行こうかな。お願いしてもいい?」
にっこり笑って返ってきた。

なんだか、いいなと思った。
何かをしてもらう。
ありがとう、と返す。
じゃあ今度は私が。
お願いしてもいい?
もちろん。
そんなふうに、
思いやる気持ちが行ったり来たりする。

心のキャッチボール。

家族というものは、
案外こんな小さなやり取りの中に
あるのかもしれない。

食事を終え、ベランダへ出た。
風が気持ちいい。
「風さん、そこにいるんでしょ」
こんばんは。
今日は本当に気持ちのいい風ね。

そんなことを言いながら
夜空を見上げていたら、
なんだか夏の夕涼みのような
気分になってきた。

目の前には、群青色の世界。

群青。

その色を見ると、遠い夜の記憶がふっと蘇る。
ピアノから流れてきた谷村新司の「群青」
静かに始まりながら、
やがて大きな波が
押し寄せてくるように高まっていく、
あの曲の空気。
なぜか今でも、身体のどこかが覚えている。

そして群青の夜というと、
私はグラスを思い浮かべる。
ジョッキではない。
お猪口でもない。
ウイスキーのロックグラスも素敵だけれど、
私には少し男性的に魅える。
だったら、やっぱりワイングラス。

少し丸みがあって、
持てば折れてしまいそうなほど細い脚。
華奢で、透明で、
夜の光を受けて、
きらりと輝くグラス。

そんなものを片手に、
群青の世界に身を置いてみたい。

でも――私にとって一番大切なのは、
グラスでも、飲み物でも、
ピアノの音でもない。
そのとき、誰といるのか。
そして、どんな言葉を交わしているのか。 

笑う声。
言葉と言葉の間。
ふっと訪れる沈黙。
そんなものまで含めた、その場の空気。
私はきっと、群青という色そのものよりも、
群青の中に生まれる
空間そのものが好きなのだ。

そう思ったら、
心が遠い横浜へ飛んでいった。
今頃、何をしているのだろう。
どんな景色を見て、
何を思っているのだろう。

夜空の向こうへ、そっと思いを馳せる。
すると、群青の空に、
青い炎のような雲が魅えた。
激しく燃え上がる炎ではない。
柔らかく、大きく、
雲をぐるりと包み込むような青い炎。

そして、その真ん中には白がある。
今朝から今日一日、私が何度も掬い、
今の自分と重ね、自分の手で還してきた白。

怒ったことも。
涙したことも。
喜んだことも。
遠い記憶も。
消えたのではない。

全部が重なって、今日の白になった。
そしてこの白は、
また明日の朝、新しい風を受け取るのだろう。

心ならしをしながら、
これまでの白と重なり、
さらに濃く、深く、私の中で輝いていく。
そう思うと、
明日へ向かうことが少し楽しみになった。

今夜はまだ早い。
横浜へ向かう準備も、ほとんどできている。
ならば、こちらで過ごす最後の夜を、
もう少しだけ楽しもう。

群青の夜。

青い炎。

そして、その中にある私の白。

さあ。

そろそろ若様の扉を開こう。
こちらで過ごす最後の夜は、
まだ、終わりにしなくていい。

群青に
白き心を
抱かせつつ
風と語らう
旅立ちの前

— Morimura