少し早めに用意ができた。
ほんの10分ほどだけれど、
予定より早く自宅を出ることができた。

「行ってくるね」そう言いながら、
いつものように家族と抱き合った。
この瞬間だけは、なぜだかいつも寂しい。

抱きしめた肩が、
いつもより少し頼りなく感じる。

「寂しいよ」
そんな言葉を口にしたわけでもないのに、
その肩が私に甘えているような気がした。

私も同じなのだろう。
離れたくない。
もう少し一緒にいたい。

でも、この別れがあるからこそ、
また帰ってきたときの嬉しさがある。

玄関を開けたときに迎えてくれる笑顔。
「おかえり」その一言に、
心がふっとほどける瞬間。

離れている時間があるから、
心のつながりはかえって深くなるのだろうか。

そんなことを考えながら、家をあとにした。

外へ出ると、
午前中の強い日差しは少しやわらいでいた。
それでも空気は蒸している。

暑い。

やっぱり蒸し暑い。

そんなことを思いながら、
ふと横浜の空を思った。
私がいたあいだは、
ずっと雨の気配ばかりだったのに、
今日はどうやら晴れてるみたい。
夜には月も見られるらしい。

それを知っただけで、少し嬉しくなった。
駅へ着くと、
あちらこちらのお店に月見団子が並んでいた。
もうすぐ中秋の名月。
そういえば、月見の季節なのね。

こちらでよく見かける月見団子は、
ころんと丸い形ではなく、
どこか里芋を思わせるような形をしている。

白いお餅に、こし餡。
これがまた、私の好きな組み合わせなのだ。

私はやっぱり、こし餡が好き。
そしてお餅が好き。
だから、こし餡とお餅が一緒になれば、
それだけでかなり嬉しい。

そう考えると、
少し前に食べたおはぎも
同じではないかと思った。

こし餡とお餅。

違うのは、
中のお餅がすっかり餅になっているのか、
それともまだ少し
もち米の粒を残しているのか。

さらに歩いていると、
売店には赤福まで並んでいた。

あら。

これも、こし餡とお餅。

考えてみれば面白い。

材料はよく似ているのに、
お餅の形が違う。
餡が外にあるのか、中にあるのか。
もち米の粒を残すのか、
なめらかな餅にするのか。
餡に模様があるのか。
そして食べる季節や、
込められた意味まで違ってくる。

同じようなものなのに、少しずつ違う。
そんなところにも、
日本の食べ物の面白さが
あるのかもしれない。
などと言いながら、
結局、私は単純なのだ。

こし餡が好き。
お餅が好き。
そこにきな粉まであったら、かなり幸せ。
なんて考えているうちに、
結局あの月見団子は買わずじまい。

まあ、いいか。

お団子を食べ損ねても、
美しい月に逢えれば、それでいい。

私は月を見るのが好き。

太陽とは、また違う。
太陽が外へ向かって力を放つ光なら、
月は静かに心の奥へ
入り込んでくる光のような気がする。

満ちていく月を見ると、
私は何かを少しずつ
吸収しているような気持ちになる。

新しく知ったこと。
誰かにもらった優しさ。
胸に残った言葉。
その日に見た美しい景色。
そんなものを一つずつ心の中へ蓄えていく。

そして月が欠けていくときは、
今度は少しずつ手放していく。
もう抱えていなくてもいいもの。
古くなった思い。
心のどこかに引っかかっていたもの。
そんなものを、
月と一緒に少しずつ
ほどいていくような気がする。

では、満月は何だろう。

私にとって満月は、
満ちきった自分を、
一度そのまま魅つめる夜なのかもしれない。

足りないものを探すのでもなく、
余分なものを捨てるのでもなく、
今ここにあるものを、
ただ丸ごと受け止める。

嬉しい私も。
寂しい私も。
逢いたい私も。
離れていく私も。
家族とこのまま一緒にいたいと思う心も、
もう横浜へ向かい始めている心も。

どちらかを消す必要なんてない。
全部を抱いたまま、
月のように、まあるくなって、
「今の私は、これでいい」
そう静かに思える夜。

だから私は、月に神秘を感じるのだと思う。

月から何か特別な力が降ってくるというより、
月を見ていると、
私自身の奥深くにずっとあったものが、
静かに浮かび上がってくる。

満ちて。
欠けて。
また満ちて。

月は同じ場所にとどまらない。
私の心もまた、同じところにはとどまらない。

家族の肩を抱いていた心が、
今は少しずつ横浜へ向かっている。

それでいい。
心だって、月と同じように移ろうのだから。
今夜、横浜の空には
どんな月が浮かぶのだろう。

月見団子は食べ損ねたけれど、
美しい月には、きっと逢える。
そう思うと、
横浜へ向かう私の心が、
また少しだけ弾んだ。

月読の歌

満ちる月
わが心にも
光満ち
欠けゆく夜には
想ひほどけむ

— Morimura