長い一日が終わろうとしている。

正確には、もう朝だ。

仕事を終えたのは午前3時半。
そして今、時計は午前5時を指している。

夜を越えてしまったけれど、
私の中ではまだ、
昨日という一日が終わっていない。

だから今、
朝の気配が少しずつ近づくこの時間に、
ようやくその一日を
静かに閉じようとしている。

今朝の私は、
今日という一日を、
まだ何も描かれていない
白い紙のように見ていた。

予定はほとんどなく、
静かな一日に
なるのかもしれないと思っていた。

何かを急いで始める必要もない。

誰かを待つでもなく、
何かに追われるでもなく、
ただ空いている時間を、
そのまま手のひらにのせていればいい。

そんなふうに思っていた。

けれど、一日は不思議なものだ。

何もないと思っているときに限って、
向こうから何かがやってくる。

それは予定ではなく、人の気配だった。

思いがけない縁だった。
懐かしい温もりだった。
そして、
私がまだ知らなかった今日という時間だった。

朝には何も描かれていなかったはずなのに、
気がつけば、
白い紙の上には、
ひとつ、
またひとつと色が置かれていた。

私はそれを、
自分から取りにいったわけではない。

ただ、
訪れてきたものを、
その都度受け取っていただけだった。

そして不思議なことに、
色が増えていくほど、
心は窮屈にならなかった。

むしろ、
少しずつやわらかくなっていった。

人と逢い、
言葉を交わし、
笑い、
その人の時間の中に少しだけ自分を置き、
また自分の時間へ戻ってくる。

その繰り返しの中で、
私は何度も、
「今日ってこんな日だったんだ」
と思い直していた。

朝に思っていた今日と、
実際に過ごしている今日が、
少しずつ離れていく。

でも、
そのずれが楽しかった。

決めた通りに進む一日もある。
けれど今日は、
決めていなかったからこそ、
入ってこられたものがあった。

空いていたからこそ、
置いてもらえた温もりがあった。

白かったからこそ、
どんな色も受け入れられた。
そう思うと、
「何もない」という言葉の
見え方まで変わってくる。
何もないとは、空っぽなのではない。
何かが入ってこられる場所が、
ちゃんと残されている
ということなのかもしれない。

今朝の私は、
余白の多い一日を前にしていた。

でも、
その余白を、
寂しいとも、
物足りないとも思わなかった。

ただ、
今日は今日の形になればいいと思っていた。

だからこそ、
あとから入ってきたものを、
無理なく受け取れたのだろう。

ひとつの縁。
ひとつの笑顔。
ひとつの言葉。
ひとつのぬくもり。

それらが重なって、
一日は少しずつ満ちていった。

でも、
満ちていくということは、
ぎゅうぎゅうに詰まっていくことではなかった。

今日の私は、
予定が増えていったのに、
心まで埋め尽くされた感じはしなかった。

むしろ、
人と逢うたび、
ひとつの時間を終えるたび、
自分の中に新しい風の通り道が
できていくようだった。

だから、
今日という一日は、
忙しかったという言葉では括りたくない。

満ちていた。

その方が近い。
誰かの気持ちが、
今日という一日の中へ、
少しずつ灯りを置いていった。

そして夜。

一日の終わりに近づいたころ、
私は十五夜の月を見上げた。

朝からずっと月を待っていたわけではない。

十五夜だからと意識していたわけでもない。

ただ、
ふと見上げた空に、
満ちた月があった。

それを見た瞬間、
今日という一日と、
どこか重なるものを感じた。

朝には、
まだ白かった。
まだ何も決まっていなかった。

それが、
時間の中で、
ひとつずつ何かを受け取り、
夜には、
静かに満ちていた。

月もまた、
急に満ちたわけではない。

見えないところで少しずつ形を変え、
時間を重ねながら、
今夜の丸い姿へたどり着いた。

そう思うと、
今日という一日も、
同じだったのかもしれない。

その瞬間その瞬間では、
ただ目の前の時間を過ごしていただけ。

けれど夜になって振り返れば、
ちゃんとひとつの形になっている。

朝には想像していなかった形。
でも、
今の私には、
今日という一日らしい形に見える。

そして、
時計はさらに進み、
仕事を終えたのは午前3時半。
外はまだ夜の名残を抱いていたけれど、
一日はもう、
静かに朝へ向かっていた。

それでも、
すぐには眠りたくなかった。
今日という一日を、
ちゃんと自分の中で
見送ってから眠りたかった。

だから今、
午前5時。夜と朝の境目に座りながら、
私は昨日を振り返っている。

今日一日の物語は
最終章に入ろうとしている。

もう空は、
夜の色だけではない。

けれど私の心の中では、
ようやく今、
昨日という一日が
静かに幕を下ろそうとしている。

朝の白は、
夜になって消えたのではない。
たくさんの色を受け止めたあとも、
その奥に、
ちゃんと残っている。

私はきっと、
その白が好きなのだ。
何もない白ではなく、
何でも迎え入れられる白。
何色に染まるかを、
最初から決めていない白。

だから明日もまた、
新しい色を迎えられる。
今日の私は、
一日を自分の思い通りに
描いたわけではない。

むしろ、
向こうからやってきた色に、
何度も筆を預けた。
それでよかったと思う。

自分だけで描いた一日ではないからこそ、
今日の景色は、
こんなにもやわらかい。

そして最後に、
十五夜の月が、
そのすべてを静かに照らしていた。

満ちるとは、
たくさん持つことではないのかもしれない。

その日に訪れたものを、
ひとつずつ、
自分の心へ置いていくこと。

そして朝になったとき、
今日も何かを受け取った。
そう思えることなのかもしれない。

朝の白から、
満ちた夜へ。
そして、
満ちた夜から、
また新しい朝へ。

今日という一日は、
静かにひとつの輪になった。

私はその輪の中に残った温もりを抱きながら、
ようやく、
昨日という一日の扉を閉じていく。

「白から朝へ」

白き朝
何もなき日と
思ひつつ
余白の中に
身を置けば
思はぬ縁が
訪れて
ひとつの色を
またひとつ
心の紙へ
置いてゆく
追ひしものなく
求めずに
ただ受け取りし
その時間
逢ふたび心
ほどけゆき
空きたる場所は
狭まらず
むしろ静かに
広がりぬ
何もなきとは
空ならず
何かを迎ふ
場所なりと
今日の一日
教へたり
白き余白に
灯はともり
言葉と笑みと
ぬくもりが
重なりながら
満ちてゆく
急ぐことなく
気づく頃
夜空の月も
満ちてをり
朝には知らぬ
この景色
いま振り返り
思ふなり
深き夜越え
仕事終へ
三時半なる
時を経て
さらに時計は
五時を指す
夜と朝との
境目に
昨日の心
抱きしめて
白き始まり
満ちし夜
そのすべて今
胸に置き
新たな朝へ
還りゆく白き朝
縁の彩り
抱きながら
満ちたる月を
朝へ渡しぬ

反歌

白き朝
満ちたる夜を
抱きしめて
新しき日に
心を渡す

— Morimura