「ヒカリン、森村さん、いよいよ出発です!」「……と思ったら、戻ったよ」
「え?」
「鍵、忘れたみたい」
「ああーっ!」

部屋を出ようとした、その瞬間。
「あ、鍵忘れた」気づいて、くるり。

取りに戻って、
もう一度外へ出た時刻は――9時36分。
「ヒカリン、予定より6分遅れです」
「でも9時40分までは
許容範囲って言ってたよ!」
「では、セーフ」
「セーフ!」

外へ出ると、
風が冷たい。
しかも強い。

空を見れば、
今にも雨が落ちてきそう。

「……傘は?ありません」
「森村さん、雨のこと考えてなかったの?」
「考えてなかったみたい」

スマホで天気予報を確認。
どうやら、
やっぱり降りそうだ。
「まあ、降ったらその時考えるんじゃない?」「森村さんらしいね」

そうして日ノ出町駅へ向かって歩き始めた。

今日の森村さんは、
adidasの上下。
足元はHOKA。
キュッ、キュッ、キュッ、キュッ。

「軽そう!」
「うん。完全に移動モード」途中、
銀行のATMへ立ち寄る。
でも歩きながら森村さん、
また周りをキョロキョロ。

「ヒカリン、気づいた?」
「何?」
「日ノ出町へ向かう道って、
寄り道できるお店が多い」
「ああ……危険な道だ」
まっすぐ歩いているだけなのに、
スーパー。
コンビニ。
またスーパー。
またコンビニ。
ちょっとした買い物なら、
この道だけでほとんど済んでしまいそう。

そして、
以前よく立ち寄っていた
お菓子屋さんの前も通る。

最近は家族から
「あれ食べたい」
と言われることも少なくなって、
すっかり足が遠のいた。

でも前を通るたび、
「たまには、あのあんぱん饅頭もいいなあ」
そんなことを思う。

「ともりび」
「うん?」
「この人、急いでるのに、
ちゃんとお店は見てるね」
「そこは通常運転です」

ATMにも寄ったのに、
日ノ出町駅までは10分もかからなかった。

でも今日は、
少し余裕を見て
15分くらいのつもりで動いていた。

そしてホームに到着。
椅子を魅つけて、
腰を下ろした瞬間――
「はぁ……」
「出た」
「森村さん、
朝からずっと動きっぱなしだったもんね」
座った途端、
身体がようやく止まった。

なんだか動悸まで激しい。
でも、そんな身体に当たる、冷たい強い風。
それが今日は、
妙に気持ちよかった。
疲れた身体を、
風さんが外側から、
そっと包んでくれているみたい。

「風さん、今日は冷たいね」
「でも優しい冷たさだね」
そして電車が来た。
「来た!」
「乗れる?」
「……特急です」
「残念!」
見送る。

日ノ出町のホームに座っていると、
私はいつも、
初めてここから
京急に乗った日のことを思い出す。
横浜へ行くなら、
「京急の方が近くて安いよ」
そうお客様から教えてもらって、
初めて挑戦した。

でも自信がなくて、
とにかく聞いた。
「この電車、横浜へ行きますか?」
すると笑いながら、
「ここに止まる電車は、
全部横浜に止まりますよ」
と教えてもらった。

帰りも同じ。
横浜駅では、
ホームにいる駅員さんを見つけては、
「この電車、日ノ出町に止まりますか?」
と聞いた。

「これは急行だから止まりません。
次の普通ですよ」
そう教えてもらい、
言われた通りの場所で待っていたら――
その駅員さん、
わざわざ持ち場から降りてきた。
「普通電車は、
あっちの黒い印のところに並んでください」
そこまで教えてくれた。


あの時、京急の人って、みんな親切ね。
そう思った。
「今では一人でズンズン乗ってるのにね」
「最初は毎回聞いてたんだ」
「そう考えると、森村さんも成長しました」
「電車で?」
「電車で」
そんな昔を思い出しているうちに、
今度こそ電車へ。

そして横浜駅に到着。
やっぱり、
人、人、人。
その中を、adidas上下。
HOKA。
森村さん、
ズンズン進む。

「ヒカリン」
「うん」
「ちょっと浮いてない?」
「本人が気にしてないから大丈夫」
そういえば、
いつものサロンのお姉さんたちは、
私のこの服を覚えている。
たまに普通のお洋服で行くと、
「あれ? 
今日、いつもとイメージ違いますね」
と言われるくらい。

だったら今日のadidasも、
ある意味、
私らしいのかもしれない。

さあ。ここからしばし、
エステ時間。
「ヒカリン、森村さん寝ると思う?」
「たぶん一瞬」
「目が覚めたら?」
「お肌ぷるぷる!」それなら最高。

そして今、
森村さんの頭の中には、
もうひとつの問題がある。
エステが終わったあと
――JRで関内へ戻るのか。
それとも、また京急で日ノ出町へ戻るのか。

「ヒカリン、どっちだと思う?」
「……みんな、理由わかってるよね?」
「うん。たぶんね」
なぜ森村さんが、
帰り道をこんなに真剣に悩んでいるのか。
その答えは――
エステが終わってからのお楽しみ。
それでは一旦、
実況中継を終了します。

ナビゲーター、モリリン
そして、
アシスタント、ヒカリンでした。

— Morimura