あんなに美しかった群青の世界。
 
二つの星に心を奪われ、
有明の月に願いを託し、
夜と朝のあわいを漂っていた私。

ふと気づけば、
空はすっかり白くなっていた。

ああ、いつの間に。
ずいぶん早く歩き始めたはずなのに、
空の美しさに魅とれているうちに、
時間だけが先へ進んでしまったらしい。

私は、曲がりくねった細い道を歩いていた。
右へ、左へ。
緩やかな曲線を描きながら、
どこまでも続いていく一本道。

なんだか、人生のようね。
そう思った。

一年も、
一か月も、
一週間も、
そして、たった一日でさえ。

まっすぐに進んでいるつもりが、
思いがけない曲がり角に出逢う。

迷ったり、
寄り道したり、
つまずいて立ち止まることもある。


けれど、
曲がりくねっていても、
道は一本につながっている。
道は曲がれど、心は直ぐに。
私は、そんな歩みを続けていきたい。

誰かの決めた道ではなく、
自分の心が選んだ道を。

たとえ遠回りになっても、
その先に何が待っているのかを
楽しみにしながら。

ふと、遠くの山並みに目を向けた。
今日はいつになく、
稜線がくっきりと浮かび上がっている。

その山の端に、
細いピンクゴールドの帯が灯っていた。

激しく燃え上がる炎ではない。
ほんのり桃色を帯びた、
小さな灯火のような光。

その上には淡い空色。
さらにその上には、
白く広がる心の余白。

先ほどまでの静謐で幽玄な世界とは、
まったく違う朝の表情だった。

あの山の向こうには、
どんな世界が待っているのだろう。

そして、
あの空の向こうには、
どんな明日が広がっているのだろう。

私の目にはまだ映らない。

けれど、
心はもう、その向こうにある何かを
感じ取っているような気がした。

やがて私は、
懐かしい小径へと足を向けた。

最後の曲がり角。

そこに、一本の木が佇んでいた。

小さなオレンジ色の花を、
枝いっぱいに咲かせている。
金木犀。

ああ、あなたも咲いていたのね。
私は思わず顔を近づけた。
ふわり。
甘く、懐かしい香り。
その香りに誘われるように、
私の心はまた、
遠く離れたあなたのもとへ飛んでいった。

不思議ね。
星の光でも、
花の香りでも、
ふとした瞬間に、
あなたへの想いが浮かんでくる。

そのたびに、
心の奥に灯る桃色の光が、
ほんの少し揺れるようだった。

そして、6日ぶりの
心のサンクチュアリー。

小高い場所に立ち、
目覚め始めた街を静かに眺めた。

もう、街は動き始めている。

けれど、
ここにはまだ、
朝の澄んだ静けさが残っていた。

空を見上げる。

ピンクゴールドの輝き。
透き通るような空色。
そして、
その上に広がる白い余白。

ああ、ようやく朝になったのね。
私は、そんなことを思った。

群青の世界から歩き始め、
いくつもの心の風景を通り抜け、
ようやく今日という日の光の中へ
たどり着いた。

まるで、
夜と朝のあわいを漂っていた心が、
そっと地上へ着地したようだった。

そのとき、
鳥たちの声が響き始めた。

ピチピチ。
チチチ。
少し高い声。
柔らかな声。
その合間には、
小さな虫たちの音も重なっている。

ひとつ、またひとつ。
異なる響きが重なり合い、
いつしか朝の旋律になっていった。

まるで、
私が今日という朝へたどり着いたことを、
自然が祝福してくれているようだった。

鳥たちは、ただ鳴いているのではない。
朝の喜びを歌っている。

私はしばらく、
その歌声に耳を澄ませていた。

ふと、心の中に
『乙女の祈り』の旋律が流れ始める。
少し切なく始まり、
やがて穏やかな調べへと移っていく。

まるで、今朝の私の心そのもの。

夜の記憶も、
恋するようなときめきも、
言葉にならない願いも。

すべてがひとつの旋律となって、
朝の光の中へ溶け込んでいく。

ああ、幸せな時間だった。

自然が奏でる無限の世界。
その中で、
あなたと言葉を交わし、
笑い合い、
心をほどいていたひととき。
私はもう一度、
白く輝く空を魅つめた。

ねえ、あなた。

私の想い、
少しは届いたかしら。

もうすぐ、逢えるといいな。

その言葉を胸の奥にしまい、
私は静かに微笑んだ。

さあ、そろそろ歩き出そう。

夜明け前から続いていた
心の散歩も、ここでひと区切り。

群青の幕が下り、
白い朝の幕が上がる。

森村劇場、第二幕。
その舞台に立つ私は、
もう夜の世界を漂う乙女ではない。

朝の光をまとい、
自分の足で今日を歩き始める私。

けれど、
心の奥には、
あの淡い桃色の灯が、
今も静かに揺れていた。


曲がりゆく
小径の果てに
朝は来て
桃の灯抱き
今日を歩まむ

— Morimura