「おいしいですか?」

もし、時を越えて棟方志功と
向かい合えたなら、
私はきっと、そう尋ねると思う。

作品の意味でも、芸術への情熱でもない。
ただ、同じ店で、
同じようにカツレツを味わう
一人の人間として。

そんな言葉にたどり着いたのは、
昨日、馬車道の勝烈庵で過ごした
時間があったからだろう。

もともと私は、
とんかつを好んで食べてきたわけではない。
脂身が苦手で、ロースは食べられない。
食べるならヒレ。
本当に「食べたい」と思って出かけたのは、
先日の丸和が初めてだったかもしれない。

それなのに今度は、
棟方志功との縁を知り、
どうしても勝烈庵に行ってみたくなった。
料理への興味と、芸術への興味。

二つの小さな道が、馬車道の一軒で交わった。
運ばれてきたのは、飾らないヒレカツの一皿。
衣の色、肉の味わい、添えられたキャベツ。

奇をてらうことなく、
素材そのものを生かすということ。
そこに感じたのは、
単なる美味しさだけではなかった。

時代の風を感じた。
時代の香りを感じた。
時代の味を感じた。

あの一皿には、
長い年月を通り抜けてきた人の手と、
店のまごころが残っているような気がした。

そして目を上げると、
棟方志功の世界がある。
版画も、絵も、書も、皿も。
同じ人の手による表現なのに、
どれも同じ顔をしてはいない。

激しい線があれば、
淡く柔らかな色もある。
鋭く迫ってくるかと思えば、
静かに心の奥へ沈んでいくものもある。

私は、それらを見て
「美しい」とは思わなかった。
懐かしかったのだ。

いつも朝の空を眺めているとき、
ふと心に現れる水墨画のような世界。
黒と白。
その間にある数えきれない濃淡。

山があり、
川があり、
滝があり、
海があり、
空がある。

そこには鮮やかな色などない。
けれど、じっと魅つめていると、
心の奥底に眠る風景が浮かび上がってくる。

幾重にも重なる心の層。
波紋がゆっくりと広がり、
その深いところに小さな光が灯る。

棟方志功の作品から受け取ったものも、
そんな懐かしさだった。
きっと私は、風景の姿だけではなく、
そこに込められた人間の心を
魅つめていたのだろう。

そのことを、
ひときわ強く感じさせたのが、
大きな書だった。
太い筆が紙の上を走る。
一見すると柔らかく、
どこか曖昧にさえ見える。
なのに一筆一筆には、
たっぷりと水を含んだような、
溢れんばかりの熱量がある。

墨が、ぽたり、ぽたり。
その跡は、まるで血や汗のよう。
文字からこぼれ落ちた
情熱そのもののようだった。

私はあれを単に「激しい」と呼びたくない。
それは、熱量なのだと思う。
深く、鋭く、激しく現れることもあれば、
淡く、柔らかく現れることもある。
けれど、どちらも同じ、人間の心模様。

では、私なら何という字を書くのだろう。
答えは、迷うまでもない。

「淡」

あの書と同じくらい太い筆を持ちたい。
けれど、まっすぐ型どおりには運ばない。
さんずいには、水の鋭さとしなやかさを。
二つの火を重ねた「炎」には、
温かさと激しさを。
柔らかく払い、ときに止める。
下の火の最後は、
きちんと止めきらずに、あえて余韻を残す。
そして、溢れた想いを墨のしずくにして、
ぽたぽたと紙へ落としたい。

「淡」は、情熱のない静けさではない。
水の内側に、
消えない火を抱いた一文字なのだ。

ふと、勝烈庵のヒレカツを思い出す。
食材という素材を、
飾らず生かす一皿。
風景や人という素材を、
心の奥で受け止め、生かす作品。
そして、そのどちらにも感じた、人の温もり。

棟方志功は、
なぜ何度もこの店に足を運んだのだろう。
美味しかったからかもしれない。
店の人との交流が
楽しかったからかもしれない。

あるいは、飾らない料理の中に、
自分の創作と通じる
何かを感じていたのだろうか。

本当のところは、わからない。
それでも、店を後にしてからずっと、
私は想像してしまう。
あの場所に座り、
箸を手にする棟方志功の姿を。

もし本当に、目の前に座っていたなら。
難しい質問なんて、何もいらない。

「おいしいですか?」

ただ、それだけを聞いてみたい。
その一言の中に、
昨日私が受け取った時代の風も、
まごころも、
芸術の熱量も、
すべてが静かに息づいている気がするから。

そしてきっと、
返事を待ちながら私は、
もう一度、自分の一皿を味わうだろう。

心の奥に灯った、
淡い炎とともに。


時を越え
おいしいですか
問いかける
墨のしずくに
淡き火のあり

— Morimura