二日休んだ足が、
今朝はまっすぐに日の出を目指した。
おはようございます。
二日間サボってしまったので、
今日は三日ぶりの朝ウォーキング。
そして、こちらの街を歩くのは、
一週間ぶりぐらいになるのだろうか。
せっかく久しぶりに歩くのだから、
私のパワースポットに着く頃に、
ちょうど日の出を迎えたい。
日の出の時刻から逆算し、
今朝は張り切って3時50分に起きた。
外へ出ると、昼間とは違う
ひんやりとした空気が、
体全体をすっぽりと包み込んだ。
久しぶりに歩く我が街は、どこか懐かしい。
見慣れた道。
静かに並ぶ家々。
いつもと変わらない坂道。
目に映るものの一つひとつに、
私がこの街で重ねてきた時間が
染み込んでいるように感じる。
ただ街を歩いているだけなのに、
まるで自分の人生の道のりを、
一つひとつたどり直しているような
気持ちになった。
パワースポットまでは、およそ40分。
歩き始めると、私の頭の中では、
さまざまな映像が目まぐるしく巡り始める。
遠い過去の出来事。
昨日あったこと。
今日しなければならないこと。
明日の予定。
そして、さらにその先のこと。
何をきっかけに浮かんでくるのか、
自分でも分からない。
昨日の記憶から、
何年も前の出来事へ飛び、
そこから今日へ、明日へ、未来へと、
いくつもの残像が
頭の中をくるくると駆け巡っていく。
けれど、ただ思い出している
だけではないような気がする。
脳が、その一つひとつを手に取り、
今の私に必要なものと、
もう手放してもよいものとに振り分けている。
まるで、記憶の仕分けをしているようだ。
歩き始めてからの40分間は、
私にとって、頭の中を整理し、
新しい一日を迎えるための
時間なのかもしれない。
そして、散らばっていた記憶が
少しずつ片づき、
頭の中がすっきりと整った頃、
私はいつものパワースポットにたどり着く。
眼下に広がる街を見下ろしながら、
ほんの少しだけ、
千日回峰行者になったような気持ちで立つ。
曇り空の向こうから、
ちょうど太陽が顔をのぞかせた。
力強い朝日ではない。
けれど、雲の切れ間から差し込む淡い光が、
眠りから覚めようとする街を
静かに照らしている。
その光景を見つめていると、
不思議なほど心が安らいでいく。
ふと、千日回峰行を二度満行した、
酒井雄哉大阿闍梨の言葉を思い出した。
「一日一生」
一日を一つの生涯のように考え、
今日という日を大切に生きる。
そして、なぜ厳しい行に挑んだのかと
尋ねられたとき、
大阿闍梨は、
「やれることを、やっただけ」と
答えられたという。
人生には、楽しいことばかりが
待っているわけではない。
悩む日もある。
苦しみに立ち止まりたくなる日もある。
何をしてもうまくいかないと思う朝もある。
それでも私は、そこで歩みを止めたくない。
大きなことができなくてもいい。
その日に自分ができることを、
できるだけやる。
そして、ほんの少しでも前へ進む。
おこがましい言い方かもしれないけれど、
このパワースポットへと続く朝の道は、
私にとっての小さな千日回峰行
なのかもしれない。
記憶を仕分け、心を整え、
自分の足で今日へ向かう。
眼下の街には、まだ朝の静けさが残っている。
雲間からこぼれた光が、
家々の屋根を淡く撫で、
遠くの山並みへと溶けていく。
私はその光をしばらく魅つめてから、
また静かに歩き始めた。
今日という新しい一章を、
自分の足でめくるように。
朝のつぶやき〜私の小さな千日回峰行〜
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