私は、うどんよりも、断然そば派だ。

なかでも好きなのは、
つなぎを使わず、
そば粉だけで打たれた十割そば。

少しざらりとした独特の舌触りも、
噛むほどに広がる素朴な甘みも好き。
何より、そば本来の香りを、
いっそう深く感じられるところがいい。

そして、数あるそばの中で、
私がいちばん好きなのが、
にしんそばである。

甘辛く、
少しくどいほどに炊かれた身欠きにしん。
その味わいは、
丼の中で明らかに自己主張が強い。
ところが、そばは決して張り合おうとしない。
静かに、素直に、
身欠きにしんの甘さも脂も、
すべて受け止める。

温かなつゆに、
にしんの旨みが少しずつ溶け出し、
そのつゆをまとったそばを啜ると、
濃厚なのに、どこか上品な味わいになる。

自己主張しすぎるほどのにしんと、
自己主張をせずに寄り添うそば。

このふたつのマリアージュが、
なんともいえず好きなのだ。

身欠きにしんの代わりに、
鰻の蒲焼きや鮎の塩焼きを
のせてみたこともある。
どちらも、それだけで食べれば
申し分なく美味しい。

けれど、そばの上にのせると、
なぜか何かが違う。
鰻も鮎も、そばの中にのみ込まれ、
つゆの中で溺れながら、
静かに沈んでしまったような、
少し残念な味わいになってしまった。

そばと並んでも、その存在感を失わず、
むしろつゆに旨みを溶け込ませながら、
最後まで堂々としていられるもの。
やはり、そばに合わせるなら、
甘辛く、少しくどいほどに
味を含ませた身欠きにしんなのだ。

にしんそばは、明治十五年、
京都・南座のそばに店を構える「松葉」の
二代目、松野与三吉によって
考案されたという。

海から遠い京都では、
北海道から運ばれてくる
保存食の身欠きにしんは、
古くから貴重なたんぱく源だった。
そのにしんをやわらかく甘辛く炊き、
温かなそばに添える。
保存の知恵から生まれたものが、
いつしか京都を代表する
一杯になったと思うと、
にしんそばがますます愛おしくなる。

もちろん、
元祖「松葉」のにしんそばも好きだ。
一杯、千八百円ほどだっただろうか。
そばとしては少し贅沢だけれど、
さすがは元祖。
身欠きにしんの味の含ませ方は、
やはり見事だと思う。
ただ、あの大きな身欠きにしんは、
なかなかの高嶺の花。

身欠きにしんは、
昔の人にとって
貴重なたんぱく源だったらしいけれど、
横浜では、
ゆで卵とおにぎりばかり食べている
私にとっても、
ある意味、ありがたいたんぱく源である。 

朝そばで、にしんそばを
食べることができたなら、
どれほど嬉しいだろう。
けれど、横浜のそば屋さんでは、
にしんそばをほとんど見かけない。

海のある横浜で、
海から遠い京都生まれの
にしんそばを探しているというのも、
少しおかしいのかもしれない。

丼の上に、
つややかな身欠きにしんをそっと横たえる。
まずは、だしをひと口。
そして、にしんを少しほぐしながら、
そばと一緒に味わう。
甘く、濃く、どこか懐かしい。
にしんの強さを、そばが静かに包み込む。
やっぱり私は、にしんそばがいちばん好きだ。