熱いお風呂に入り、たっぷりと汗を流した。
エアコンの効いた部屋に戻ると、
「極楽、極楽」
と思わずつぶやいてしまう。
ひんやりとした空気に包まれながら、
しばしのオアシス時間を楽しむ。

けれど、今日は「オアシス時間」と言っても、
そうそうゆっくりしてはいられない。
明日の朝、始発に乗って帰る。
そのために、
今日は部屋を片づけておかなければならない。

お風呂を洗い、
トイレを掃除し、
キッチン周りをきれいにする。
おしゃれ着洗いを済ませて、それを干す。
今日、お店へ持っていく
おにぎりを作りながら、
同時に荷物もまとめていく。

あれをして、これをして、
と動き回っていたはずなのに、
気がつけば、
いつも以上に手際よく片づいてしまった。
四日間だけの滞在だったから、
いつもより荷物が少なかったのだろうか。

あとは今日、
お仕事を終えて帰ってきてから少し。
そして明日の朝、
お風呂に入ったあとに仕上げをすれば、
それでおしまい。

さて、掃除機もかけてしまおう。
そう思ったところで、
どうやら誰かが別の部屋へ
帰ってきた気配がした。
おそらく朝帰ってきたところなのだろう。
そんなときに掃除機の音を響かせるのは、
さすがに申し訳ない。

いつもなら帰る前に部屋全体へ
掃除機をかけるのだけれど、
明日の朝もきっと難しいだろう。
仕方がない。
自分の部屋だけ、
今日の出勤前にかけることにしよう。

そんなことを考えながら、
少しずつ整っていく部屋を眺めていた。

いつも、帰る前日の朝に
荷物をまとめていると思う。
部屋の中がきれいになればなるほど、
なぜだか寂しくなってくる。

ここにあったものがひとつ、
またひとつと鞄の中へ収まり、
生活の気配が少しずつ消えていく。
「ああ、また帰るんだな」
そんな実感が、
片づいていく部屋の静けさとともに、
じわじわと胸の中へ広がってくる。

そして不思議なことに、
帰ることを考えながら、
もう次にここへ来る日のことを考えている。

向こうの町へ帰ってからの予定を思い描き、
その一方で、
また横浜へ戻ってくる日を恋い焦がれる。
頭の中では、私の体がもう忙しい。

向こうの町へ行ったかと思えば横浜へ戻り、
また向こうへ行き、
そしてまた横浜へ戻ってくる。

明日はもっと忙しい。
始発に乗って向こうの町へ帰ったら、
午後からは、さらに西の方へ一泊出張。
そして翌日は、
午前の会議に間に合うように、
また向こうの町へ戻らなければならない。

あっちへ吹いて、
さらに向こうへ吹いて、
そしてまた戻って、
いつかまた、こちらへ吹いてくる。

そう考えていたら、
なんだか自分が風になったような気がしてきた。

本当に忙しい。
準備だって大変だ。
帰ってからの予定を考えると、
少し気が重くなることもある。

それでも私は、
風とともにいろいろな場所を飛び回り、
その土地、
その瞬間にしか
見ることのできない景色に出逢うことが、
やっぱり好きなのだと思う。

知らない景色に出逢えば心が動き、
新しい風に触れれば、
また何かを見つけたくなる。
そうして、いろいろな町の風をまといながら、
私は少しずつ、
自分の中に小さな輝きを
集めているのかもしれない。

ひとつの場所にとどまっているより、
こうして風のように、
あちらへ、こちらへと吹かれている方が、
きっと私らしい。

少し疲れて、
時には「もう大変」と思いながらも、
それでもまた鞄を持って、
次の場所へ向かっていく。

明日の朝、この部屋を出れば、
風はまた私を向こうの町へ運んでいく。
そこからさらに西へ吹き、
そしてまた戻ってくる。

忙しいなあ。
本当に、よく飛び回る風だと思う。
でも、それでいい。
だって風は、
どこかへ行ってしまうために吹くのではなく、
新しい景色に出逢うために
吹いているのだから。

いくつもの町を通り抜け、
いくつもの景色を瞳に映し、
いくつもの想いを胸いっぱいに抱えて、
私はまた、この町へ吹いてくる。

そのときの私は、
今日よりほんの少しだけ、
きらきらしていたらいい。

すっかりきれいになった部屋を、
もう一度見渡した。
寂しいはずなのに、
なぜだろう。
胸の奥には、小さな光が灯っている。

耳を澄ませば、
まだ窓の向こうにも
吹いていないはずの風の音が、
かすかに聞こえてくるような気がした。

さあ、次はどんな景色を
魅せてくれるのだろう。
帰る前から、
もう次の物語は始まっている。
きれいになった部屋の静けさの向こうで、
次の風が、
そっと私を呼んでいる。