名残の朝そばを食べ終え、店をあとにした。

昨日と同じ冷やしたぬきそばなのに、
今日はなぜだか、やけにお腹が重い。
昨夜の楽しい時間とともにいただいた、
美味しい食べ物や飲み物が、
まだ身体のどこかに残っていたのだろうか。
それとも、しばらくお別れだと思うあまり、
名残を惜しんで、
いつも以上によく噛みしめたからだろうか。

持ってきた水は、
すっかり飲み干してしまった。
コンビニに立ち寄ってポカリを買い、
馬車道にある私の専用ベンチへ向かった。
そして、そこへ倒れ込むように腰を下ろした。

ここで少し休みながら、
朝そば時間の日記を整えよう。

日記をアップし、ポカリをひと口飲む。
身体の中へ、
冷たさがすうっと染み込んでいった。
さあ、もう一度歩き始めよう。
大岡川と野毛の町に、
しばしのお別れを告げるために。

大岡川へ向かってまっすぐに歩いていると、
あちらからも、こちらからも、
風が私のもとへ集まるように吹いてきた。
私が向こうの町から連れてきた風が、
「今日で、しばらくお別れだね」と
伝えに来てくれたのだろうか。

やさしく身体を包み、
そっと抱きしめながら、
私との別れを惜しんでくれているようだった。

この町へ来て、風といっぱい友達になった。
風といっぱい触れ合った。
目には見えないけれど、
この町を吹き抜ける風、
海を渡ってくる風、
街角を曲がる風、
川面に沿って流れるように吹く風。

その一つひとつと、
しばらく逢えなくなると思うと、
やはり少し寂しい。

やがて、野毛の町へ入った。
先日、お客様から聞いていた小料理屋を、
昨日ようやく見つけた。

そして、私の思いが通じたのか、
その方は次にこちらへ来られる日に、
早々にご予約を入れてくださった。
もしかしたら、
私が「行ってみたい」と話していたから、
あのお店へ連れて行ってくださるのかしら。

そんな期待に胸を弾ませながら、
もう一度、その小料理屋を目指した。
お店の前に立ち、
そっと引き戸の取っ手に手を添える。
いつか本当にこの戸を開ける日が来たなら、
この店は、
今日の私の手のぬくもりを
覚えていてくれるだろうか。
そんなことを思いながら、
しばらく取っ手に手をかけたまま、
私は自分だけの世界へ入り込んでいた。

別れを惜しむ心。
またここへ戻ってくる期待。
まだ見ぬ時間への、小さなときめき。

いくつもの思いを胸に抱きながら、
心地よい風の中、大岡川沿いを歩いていく。

流れている曲は、千鳥。

そのとき、
後ろからゴミ収集車が近づいてきた。
車の気配に気づき、
私は慌てて左へ避ける。
こんないい雰囲気のときに、
ゴミ収集車だなんて。

一瞬そう思ったけれど、
考えてみれば、
この時間に歩く私は、
いつもどこかでゴミ収集車とともに
朝を過ごしている。
これもまた、
この町の朝をつくっている
大切な風景の一つなのだ。

ひんやりとした風が、すうっと吹いてくる。
川面は、風に撫でられながら、
ゆらゆらと揺れている。
水の上では、SUPを楽しむ人たちがいる。
電車がコトコトと音を立てて走り過ぎていく。
風も、川も、電車も、働く車も、
朝を楽しむ人たちも…
すべてが、
この町のいつもの朝をつくっている。

私は、これまで魅てきた風景を、
一つひとつ胸の奥の
引き出しへ片づけるように、
丁寧にしまっていった。

風は、また私を迎えてくれるだろうか。
海は、また私を抱いてくれるだろうか。
川は、また私を慰めてくれるだろうか。
朝の光は、また私に
一日の輝きを授けてくれるだろうか。

そうして歩いているうちに、
旭橋まで来てしまった。
私の朝のゴールは、もうすぐそこ。

けれど、中華街をワープした分、
10Kmまで、あと500m足りない。
ほんの少しの距離かもしれない。
それでも、自分に約束した達成感は、
きちんとこの手で受け取りたい。

だから、少しだけ遠回りをして
ゴールを目指そう。
この町との別れを引き延ばすためではなく、
今日の朝の物語を、
最後まで自分の足で結ぶために。

そして、またこの風に
逢いに戻ってくる日の私へ、
今日の一歩を、そっと残しておくために。