今朝は、歩き出す前から少しおかしかった。
4時にセットしたはずのアラームで
目覚めたと思い、
着替えて準備を済ませ、
「さあ、行こう」と時計を見ると、
まだ3:58だった。
どうやら私は、アラームが鳴るよりずっと前に
目を覚ましていたらしい。
そのまま歩こうかとも思ったけれど、
昨日、一昨日と
30分遅らせた朝の景色が
あまりにも素晴らしかったから、
やっぱり今日も5時から歩きたかった。
あと少し眠ろう。
でも、寝過ごしたら困る。
そんなことを考えているうちに、
なぜかココナッツサブレを食べ始めた。
一袋だけのつもりが、
もう一つ、
もう一つ。
気づけば残っていた三袋を全部食べてしまった。
しまった。それでも眠たい。
結局、電気もテレビもつけたまま、
4:50にアラームを合わせて
ベッドに横になった。
眠ったのか、眠っていないのか。
よくわからない30分を過ごし、
4:58、少し重たい胃と、眠たい頭と、
だるい身体を連れて歩き始めた。
外へ出ると、ひんやりとした風が、
スースースースーと正面から吹いてきた。
夏とは思えないほど透き通った風だった。
昨日から改装工事をしていた飲食店では、
もう人が働いている。
ギューン、ギューンと電動のこぎりの音が
朝の街に響いていた。
これから仕事へ行く人。
仕事を終えて帰る人。
すでに働いている人。
私のように歩く人。
道端で眠る人。
同じ朝、同じ街の中で、
それぞれ違う時間を生きている。
馬車道へ差しかかると、
風はさらに気持ちよくなった。
鳥が鳴き、木々が揺れる。
秋楡の細かなギザギザの葉を魅つめながら
思った。
一枚一枚は、こんなにも小さい。
けれど、その小さな葉が
一生懸命に生きて集まることで、
一本の凛とした美しい木になる。
新港中央広場では、
元気いっぱいのひまわりと、
少し寂しそうな百日紅が目に入った。
咲き誇る命と、静かに移ろっていく命。
その対照的な姿に、
限りある命の美しさを感じた。
そして、今まで何度も通ったはずの花壇で、
初めて真っ赤なダンドクを見つけた。
すっと高く茎を伸ばし、
ほかの花々を見下ろすように
堂々と咲いている。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。
きっと、ずっとそこにあった。
ただ、今日の私の心が、
初めてその花を見つけたのだ。
海へ近づくほど、風は強くなっていった。
草が揺れる。
木々が揺れる。
花が揺れる。
みんなが手を振って、
港へやってきた私を
迎えてくれているようだった。
カモメの声が海を渡る。
ジョギングする人の足音が
近づいては遠ざかる。
汽笛、波、岸壁にぶつかる水の音。
耳を澄ませば、
港そのものが一つの
オーケストラになっていた。
大きな、大きな海。
その水面に、両手のひらに
収まってしまいそうな小さな水鳥が、
ぽつんと浮かんでいた。
壮大な海と、小さな命。
その対照が、なぜかとても美しかった。
風に背中を押されながら歩いていると、
少しずつ身体が軽くなっていった。
昨日の出来事を一つ脱ぐ。
心に残ったもやもやを、また一つ脱ぐ。
一つずつ脱ぐたび、
私は前へ進んでいるはずなのに、
なぜか上へ、上へと
登っているような気持ちになった。
空への階段。
天空への階段。
きっと最後まで登りきることはできない。
それでも、少しでも近づいてみたい。
まだ知らない景色を見たい。
まだ知らない感動に出逢いたい。
そんな思いが、
毎朝私を海へと
駆り立てているのかもしれない。
「千鳥」のイントロが流れた。
その瞬間、待っていたかのように風が、
わあっと吹き上がった。
風が私を呼んでいる。
ピチュピチュと鳥が鳴く。
鳥が私を呼んでいる。
カサカサと葉が擦れ合う。
木々が私を呼んでいる。
見上げれば、一面の雲。
雲が私を呼んでいる。
そのすべてに導かれるように、
大さん橋へ向かった。
そこでようやく、
巨大なダイヤモンド・プリンセスに気づいた。
こんなにも大きな船なのに、
なぜここへ来るまで気づかなかったのだろう。
ダンドクと同じだった。
ずっとそこにあっても、
心がほかを魅ていれば、見えないものがある。
いつか、この船に乗ってみたい。
夜にはドレスを着て、
軽やかに、優雅に踊ってみたい。
そんな夢まで風に乗せながら、
私は人々の間を抜け、
ただまっすぐに、私の心の聖地へ向かった。
そして、ようやく辿り着いた。
目の前には、果てしない海。
その向こうには、雲に覆われた空。
そしてベイブリッジ。
橋脚から何本もの細い斜材ケーブルが、
斜めに空へ伸びていた。
何度も見てきたはずの景色なのに、
今日の私には、それが違って見えた。
一本、また一本。
雲へ向かって伸びるその線が、
まるで――天空への階段。
夜になれば光をまとい、
さらに空へ続いていくように見えるのだろう。
今朝、歩きながら心の中に描いていた階段が、
最後になって、
本当に目の前に現れたような気がした。
風が吹く。
海からの風。
街から来た風。
私をずっと連れてきてくれた風。
もしかすると、
ダイヤモンド・プリンセスが
世界のどこかから運んできた風も、
この中に混じっているのかもしれない。
そのすべてを身体いっぱいに受け入れた。
ああ、気持ちがいい。
ここまで来て、ようやく心が空っぽになった。
そして――私は、海になった。
空っぽになった心へ、風を入れる。
雲を入れる。
光を入れる。
小さな命を入れる。
そして、
まだ何も書かれていない今日を入れる。
天空への階段を
最後まで登ることはできなくてもいい。
今日もまた一段。
私は風に背中を押されながら、
新しい道を歩き始める。
今日一日の、新しい物語を紡ぐために。
天空への階段✨
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