長い一日が、終わろうとしている。

今日も朝起きてから、
本当に長い、長い一日だった。

まだ頭がぼんやりしたまま歩き出し、
朝一番の日記を書こうとしても、
なかなか言葉が出てこなかった。

頭の中が煮詰まって、
詰まって、
また詰まって。
それでも歩きながら、
魅つめながら、感じながら、
ようやく私の中から
ひとつの言葉が浮かび上がってきた。

——明るい道。
振り返ってみれば、
今日という一日は、
まさにそんな明るく輝く光の道を
歩いてきたような気がする。

朝、私のために「アリラン」を
演奏してくださったおじさん。
その音色だけではなく、
私のために奏でてくださった、
その真心に触れたことが嬉しかった。

そして、もうひとつ、
大切なことにも気づかせてもらった。
文章を書くために景色を魅るのではない。
魅て、
心が動いて、
感動したからこそ、
それを表現したくなって、
言葉にしたくなる。
書くために魅るのではなく、
感じたから書く。
きっと、それでいいのだと思った。

それから今日逢ったあなたたちとの、
ときめくような時間。
笑ったり、
話したり、
心がふっとほどけたり。

どの時間も、
朝に見つけた光の道の続きを
歩いているようだった。

寝不足だったから、
途中で3時間半も睡眠貯金を
してしまったけれど、
それさえも私にとっては、
光の道の途中にあった
小さな休憩所だったのかもしれない。

眠って、
目を覚まして、
また歩き出す。

そして、今日最後のドアの向こうにも、
やっぱり光が待っていた。
楽しくて、
優しくて、
心が弾んで。
ほんのりと磯の香りまで感じるような、
真夏の夜の時間だった。

なぜだろう。
一日の終わりなのに、
私の心は
また朝の海へと戻っていくようだった。

今日一日で集めた光や、
ときめきや、
人の優しさが、
すべて海へと流れ込み、
そこでひとつに溶け合っていく。
そんな気がした。

最後のドアが閉じ、
外へ出ると、
風さんが迎えに来てくれた。

今日もずっと一緒にいてくれた風さん。
きっと私が何を見て、
何を感じ、
何に心を動かされていたのか、
言葉にしなくても
わかってくれていたのだと思う。

私の表情の中にある、
小さな光まで魅つけてくれて
いたのかもしれない。

そして、風さんと一緒に帰る道で、
今日一日の終わりに、
やっと「千鳥」を聴くことができた。

朝の風景だけではなく、
夜の私の風景にも、
とてもよく似合う曲だと思った。
でも、きっと違う。
朝だから似合うとか、
夜だから似合うとか、
そんなことではないのだろう。

「千鳥」が映しているのは、
現実の景色ではなく、
私の心の風景なのかもしれない。

朝の海を魅つめている私も。
夜の風と歩いている私も。
光の中で笑っている私も。
少し立ち止まっている私も。

そのすべての心の風景に、
「千鳥」は静かに寄り添ってくれている。
そう思いながら、
風さんと並んで夜の道を歩いた。

今日の私の物語も、
そろそろ最終章となった。
最後のページには、何を書き記そう。
私は今日、
海から始まり、光の道を歩いてきた。
たくさんの景色に心を動かされ、
人の真心に触れ、
素敵なあなたたちと逢い、
笑い、
ときめき、
そしてまた海へと戻ってきた。

今夜は、
その海へ溶け込むように眠りにつこう。
それは、一日の終わりというよりも、
今日集めたすべての光が、
明日へ向かって
静かに昇華していくような気持ちだった。

風さん。
今日もずっとそばにいてくれて、
ありがとう。
そして、今日逢ったあなたたち。
素敵な時間を、
ありがとう。
今日という一日に、
ありがとう。
それでは、また明日。
風とともに。
おやすみなさい。