朝のプロローグの余韻を抱えたまま、
しばらくぼんやりと
亡き母の面影を追っていた。
でも、私は前を向いて歩いていこう。
そう決めて、
地面にしっかりと足を踏みしめるように
ベンチから立ち上がり、歩き始めた。
雲が左右へ、さーっと流れていく。
太陽の姿はまだ建物に遮られて見えない。
それなのに、
そこに太陽がいることだけはわかる。
雲の向こうから光が染み渡り、
そこだけが金色に輝いていた。
少なくとも、私には金色に見えた。
さっきまで私は、
亡き母を偲び、過去の世界にいた。
今は風とともに、現実の世界を歩いている。
そして目の前には、朝の光がある。
その光を魅ていると、
これから向かっていく未来まで
魅えてくるような気がした。
いつもの馬車道を歩いているだけなのに、
今朝の私は、過去、現在、未来という
三つの時を歩いているようだった。
一歩、前へ進む。
その瞬間まで「現在」だったものが、
「過去」になる。
もう一歩、進む。
さっきまで「未来」だった場所が、
今度は「現在」になる。
未来が今になり、
今が過去になっていく。
私は、自分の中を流れていく時そのものを、
風とともに感じながら歩いていた。
新港中央広場の入口へ差しかかる。
右前方から、眩しい朝の光が魅えた。
こんな光を魅るのは、何日ぶりだろう。
ひまわりたちは一斉にこちらを向き、
黄色い花びらいっぱいに、
ビタミンカラーの笑い声を
響かせているようだった。
サルスベリも、
残り少ない夏を惜しむように咲いている。
そして、その向こうから
太陽が光を放っていた。
ああ、眩しい。金剛石のような光。
眩しすぎて目がくらみそうになるのに、
それでも私は太陽を魅つめた。
お母さん、あっちの世界へ帰ったのね。
太陽の向こうに広がる世界は、
いったいどんなところなのだろう。
そんなことを想像した。
寂しい。
でも、母がそこで安らかに
過ごしている姿を思い浮かべると、
ほんの少し安心することもできた。
きっとまた、風さんになって
私のところへ来てくれる。
そうだったらいいな。
新港中央広場の真ん中を通り抜け、
出口へ差しかかった。
そこで初めて気づいた。
ここにも、ひまわりがいた。
うっかり通り過ぎそうになって、
ふっと後ろを振り返る。
すると、ひまわりたちが一斉に、
「今日も前を向いて、元気いっぱい歩いてね」
そう言ってくれているように見えた。
その黄色い花の群れの中に、
ぽつん、ぽつんと二、三本、
真っ赤な花が咲いていた。
鮮やかな黄色の中にある、燃えるような赤。
どうしても気になった。
立ち止まり、写真を撮って調べてみた。
カンナという花だった。
古代インドでは
めでたい花とされていたというダンドクと
そっくりな花だ。
そして、真っ赤なカンナには、
お釈迦様の血から生まれたという
説もあるらしい。
さらに目に留まった言葉があった。
——花言葉は、堅実な未来。
たくさんのひまわりに囲まれても
埋もれることなく、
真夏の太陽へ向かって、
エネルギッシュに咲く真っ赤なカンナ。
なぜ今朝、
この花が私の目に留まったのだろう。
力強さ。
鮮やかさ。
そして、あふれるような生命力。
その赤い花から、
朝一番のパワーをもらったような気がした。
堅実な未来。
ならば私も、
光の先にある自分の未来へ向かって
歩いていこう。
一歩ずつ。
一歩ずつ。
未来を焦って手に入れようとするのではなく、
一歩進むたびに、
それを着実に「今」にしていけばいい。
そんな私の朝の決意を激励するように、
海の上の太陽が、惜しみなく光を注いでいた。
そしてその光は、
水面へ一本の筋を伸ばしている。
ゆらゆら。
きらきら。
水面に映る、太陽の光の筋。
それは、私には未来へ続く道に見えた。
私の、光の道。
決して一直線ではない。
水面と一緒にゆらゆら揺れながら、
それでも確かに、遥か先へと続いている。
私も、この道を歩いていこう。
そう思った。
柵に沿ってさらに歩いていくと、
いつの間にか、
私の前には雲一つない青空が広がっていた。
今朝魅てきた空は、
まるで私の心の変化を、
時系列に映してくれているようだった。
曇り空の向こうに、母の光を見た。
過去、現在、未来へと続く道を歩いた。
太陽は、水面に未来へ続く光の道を
描いてくれた。
そして今——。
私の心まで、雲一つない青空になった。
ああ、「千鳥」を聴こう。
イヤホンをつけた。
けれど、イントロが流れ始める、
そのほんの少し前。
風が、さーっとやってきた。
そして「千鳥」が始まった。
風が私を呼んでいる。
雲が私を呼んでいる。
空が、あまりにも綺麗だ。
木々が私を呼んでいる。
今朝の木々は静かだった。
葉を大きく揺らすほどの風はなく、
ささやく声も聞こえない。
それでも、その佇まい全体で
私にそっと会釈をしながら、
「おはよう」と
挨拶してくれているようだった。
鳥のさえずりが聞こえる。
また風が吹く。
海が、今朝の私の想いに応えるように揺れる。
そして太陽の光が、私を包む。
この短い道の間に、
私はいったいどれほどたくさんの
自然の恵みを受け取っているのだろう。
風。
空。
雲。
木々。
鳥。
海。
そして、光。
「自然に抱かれて」
「自然に包まれて」
そんな言葉を、
私はこれまで何度も使ってきた。
でも今朝初めて、
その言葉の本当の意味を、
本当の感覚を、
頭ではなく身体で覚えたような気がした。
帽子を脱ぎ、手に持った。
「千鳥」を聴きながら、
少し顔を上へ向ける。
首をゆっくり左右に振ると、
髪が風になびいた。
そして手にした帽子を頭上へ掲げ、
くるくる、くるくると回すように振った。
ありがとう。
言葉にはしなかったけれど、
そんな気持ちだった。
風へ。
空へ。
太陽の光へ。
少し手を下ろして、鳥へ。
木々へ。そして、私の大好きな海へ。
ありがとう。
そんな気持ちを、身体いっぱいで伝えた。
大さん橋の入口へやってきた。
いつもなら、
ここから私の心のサンクチュアリーへ向かう。
でも今日は、そこへたどり着く前から、
もう心は晴れやかだった。
穏やかだった。
清らかだった。
ほんの小さな悟りを、
一つ開いたような気分だった。
大さん橋から眺める景色まで、
いつもとは少し違って魅えた。
色がついてきたような気がする。
世界そのものが、
少し明るくなったような気がする。
もちろん、朝が進み、
太陽が高くなってきたからなのだろう。
でも私は、それだけではないと思っていた。
今の私の心が、この景色に映っている。
「千鳥」が終わった。
耳元が、静寂に包まれる。
聞こえてくるのは、風の音。
そしてもう一つ。
私が前を向いて歩くたび、
ウッドデッキを踏みしめる足音。
一歩。
また一歩。
現在を一歩ずつ過去へ送りながら、
未来を一歩ずつ、この手につかみながら。
太陽の光を浴びる。
光り輝く海を魅つめる。
風に包まれ、背中を押されるように歩く。
時には向かい風に煽られる。
それでも私は、
一歩ずつ、
一歩ずつ、
光の道を進んでいく。
両手を高く上げた。
思いきり伸びをする。
ああ、気持ちのいい朝。
清々しい朝。
その瞬間、また強い風が私
に向かって吹いてきた。
身体いっぱいで、その風を受けた。
まだ心のどこかに残っていたものまで、
風がすべて洗い流してくれるようだった。
悲しみも。
寂しさも。
迷いも。
最後に残っていた小さな何かまで。
全部、風に預けた。
そして私は、ここで無になった。
何もなくなったのではない。
新しいものを受け取るために、
心の中が空っぽになった。
私は太陽の光を魅つめた。
風が吹いている。
海が輝いている。
今日という未来は、
もう私の現在になっている。
そして、その現在も、
一歩進めば思い出になっていく。
だから私は、また一歩を踏み出す。
光の方へ。
朝のプロローグから始まった
今日という物語は、
風と光をまといながら、
ここからまた新しい頁をめくっていく。
未来が、今になる朝✨
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