朝を迎えようとしている風は、
少しひんやりとして気持ちがいい。
街灯の明かりだけがぽつぽつと残り、
夜のきらびやかさを脱いだ街は、
まだ深い眠りの中にいる。
その眠りを起こさないように、
風さんも静かだった。
建物と建物の間をそっと抜けながら、
「もう少し眠っていていいよ」
そう囁いているように吹いている。
でも、この冷たさはきっと、
もうすぐ目を覚ます街への贈りもの。
一足先に目覚めた私は、
その「目覚めの風」を先にもらっていた。
3:49。昨夜、
日記を書きながら眠ってしまったことに、
しばらくして気づいた。
しかも、「そうしているうちに、
心の奥に残っていた力が、
少しずつ抜けていく」
そこまで書いて、
本当に力が抜けてしまったらしい。
疲れ果てて眠ったというより、
心を振り返るうちに満たされ、
ほっとして、張りつめていた糸がほどけた。
七時間遅れで書き終えた一日の振り返りは、
昨夜書くものとは少し違っていた。
眠っているあいだに、
昨日の感情の角が少しずつ丸くなっていた。
時間というものは、
心まで静かに撫でていくのかもしれない。
外へ出た。
「風さん、おはよう。昨日、やっちゃった」
風さんは頬をふわふわ撫でながら、
「たまにはいいじゃない。
きっと、満たされて眠っちゃったんだよ」
そんな顔をしていた。
今日は、こちらで歩く最後の朝。
昨日のように時間を追いかけない。
ゆっくり、心ゆくまで歩こう。
この町の朝をしっかり胸に入れてから、
横浜へ向かおう。
静まり返った街で耳を澄ませると、
不思議なくらいたくさんの音があった。
虫の声。
鳥の声。
遠くの水の音。
松虫だろうか。
鈴虫だろうか。
コオロギもいるのかもしれない。
そこへ鳥たちが、
一羽、また一羽と加わってくる。
まるで、虫と鳥たちによる朝のコーラス。
私は今朝、初めてその歌に気づいた。
でもきっと彼らは、
毎朝ここで歌っていたのだ。
聞こえていなかったのではない。
私の心に、
入ってくる余白がなかったのかもしれない。
まだすべてを脱いだわけではない。
けれど一枚脱いだ、その小さな余白へ、
もう朝の歌声が入り込んできた。
緩やかな坂道へ入るころ、
コーラスはさらに豊かになった。
高く澄んだ鳥の声が、ひときわ強く響く。
ソプラノの独唱みたい。
その後ろから虫や鳥たちの声が重なり、
水の音まで伴奏に加わってくる。
夜の暗闇は少しずつ白み始め、
朝の幕が上がろうとしていた。
音はますます大きくなる。
なんだか、ファンファーレ。
そして私の中では、
いつの間にかベートーヴェンの
交響曲第九番へとつながっていった。
第四楽章。
独唱が現れ、
やがていくつもの声が重なり、
大きな歓喜へと昇っていく。
そう思った瞬間、胸がじんと熱くなった。
これは、私の「喜びの歌」なのかもしれない。
晴れゆく空。
目を覚ます鳥たち。
風。
水。
虫たちの小さな音。ひとつ鳴るたびに、
心の奥へ小さなトライアングルを
打ち鳴らすように響いてくる。
第九の「歓喜の歌」は、
シラーの詩から生まれた。
――なのに私は、その文字を見た瞬間、
なぜか「シンドラー」だと
思い込んでしまった。
だから心は、
そのまま映画『シンドラーのリスト』へ
飛んでいった。
諦めず、
また一人、
そしてまた一人。
苦難の中にあっても、
その先にある命や平和を信じる姿。
胸を揺さぶられたあの映画の記憶と、
今耳の中で鳴り響いている歓喜の歌が、
私の中で不思議に重なっていった。
そして、あとになって気づいた。
あら。シンドラーじゃない。
シラーだった。
文字も似ていたから、
私の心が勝手に飛んでいってしまったらしい。
でも、なんだかそれも今朝らしくて可笑しい。
正しくはつながっていなかった二つのものが、
私の心の中では一瞬だけ手をつないだ。
苦難の先にある歓喜。
その先にある平和。
そんな壮大なものに比べれば、
私が今歩いている坂道など、
ほんの小さな坂にすぎない。
それでも私は、
曲がりながら、
ゆっくり上っていく。
その先にある、私の心のサンクチュアリーへ。
そこで今日、最初に目にするものは何だろう。
平和だろうか。
愛だろうか。それとも――。
まだわからない。でも、それでいい。
朝の舞台は、まだ開幕したばかりなのだから。
風さんと、
鳥と虫たちの歓喜のコーラスを連れて、
私はゆっくり、
心のサンクチュアリーへ向かって
歩いていった。
歓喜の朝✨
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