いつもの風景が、
今朝は生きているように魅えた。
街、空、雲、緑。
何ひとつ特別なものではない。
何度も何度も見てきた風景。
なのに、
鳥や虫たちの朝のコーラスが加わると、
それぞれがその旋律に呼応するように、
ゆるやかに動き始めた。
街も、自然も、風も、人も。
みんなが手を取り合って、
ひとつの朝を生きている。
そんなふうに魅えた
きっと、景色が変わったのではない。
私の心が、歓喜で満ちていたからだ。
派手な歓喜ではない。
何もなかった心の余白へ、
ひとつ、またひとつと自然の音が入り込み、
気づけば胸いっぱいになっていた。
鳥の声。
虫の声。
水の音。
風の音。
そこへ車のエンジン音が加わり、
ジョギングする人の足音が加わり、
目を覚ました人々の息吹まで加わっていく。
自然だけではない。
街そのものが、
大きな朝の交響曲を奏で始めた。
耳を澄ませば、朝のコーラス。
目を閉じれば、
鳥が舞い、風が舞い、木々が揺れ、陽が昇り、人々が目を覚ましていく。
いつもと同じ風景に、
今日は「音」があった。
いや、音はきっと昨日もあった。
私が今日、初めて受け取ったのだ。
胸がいっぱいになって、
思わず胸元をぎゅっと押さえた。
苦しいのではない。
嬉しくて、嬉しくて、
入りきらないほどの喜びが、
胸の中にあふれていた。
「どうしたの?」風さんがやってきた。
「私ね、胸がいっぱいなの。
喜びであふれそうなくらい、すごく嬉しいの」
すると風さんは、
にっこり笑って私を包み込んだ。
まるで抱き上げてくれるように。
朝からこんなに
いっぱいになってしまって大丈夫なのかしら。
これからまだ、
心に響く風景がいくつもやってくるのに。
そんなことを思っていたら、
満ちあふれていた歓喜が、
風さんと一緒に
すうっと心の奥へ溶けていった。
そして私は、もう一度「無」になった。
その瞬間、ひとつの言葉が浮かんだ。
無一物中無尽蔵。
何もないから、入ってくる。
何も持たないから、
限りなく受け取ることができる。
受け取ったものを抱え込むのではなく、
心へ染み込ませていけば、
またそこに新しい余白が生まれる。
そう考えたとき、
ふと自分のこれまでを思った。
私は昔から、
知らないことを知るのが好きだった。
「これは何だろう」
「どうしてだろう」そう思えば調べ、
聞き、考えてきた。
でも私は、
知識として覚えておくだけでは
満足できなかった。
知ったことを考える。
自分ならどう受け取るのかを考える。
そして、自分の暮らしの中へ持ち帰る。
そんなことを、ずっと繰り返してきた。
時には、こんなことをして何になるんだろう。
そんなふうに思ったこともあった。
でも今朝、鳥たちの歌声を聞いた瞬間、
私の中からベートーヴェンの第九が
自然に湧き上がってきた。
探したわけではない。
思い出そうとしたわけでもない。
昔、聴いたもの。
知ったもの。
観たもの。
心を動かされたもの。
それらがいつの間にか私の中へ染み込み、
今朝の風景と出逢って、
別の姿になって現れた。
ああ。だからだったのかもしれない。
毎朝同じ道を歩きながら、
「もう語ることなんてないんじゃないか」
と思う。
それでも歩き始めると、言葉が生まれる。
わざと素敵なことを探しているわけではない。
かっこいいことを
語ろうとしているわけでもない。
ただ、心を開いて歩いている。
すると風景が入ってくる。
音が入ってくる。
そこへ、これまで私の中に
染み込んできた記憶や言葉や音楽が重なり、
気づけば新しい物語になって
あふれ出してくる。
だから私は、語っているのかもしれない。
だから私は、書いているのかもしれない。
日記とは、
今日あったことを残しておくだけのもの
ではなかった。
今日受け取ったものを、
自分の心へ染み込ませる時間だった。
そして染み込んだものは、
いつかまた別の朝、
別の風景に出逢ったとき、
新しい言葉となって芽を出す。
そう思ったら、
これまでの自分を少し褒めてあげたくなった。
好奇心を手放さずにいてよかった。
知ることを楽しんできてよかった。
考えることをやめなくてよかった。
そして、それを自分の暮らしの中で
生かそうとしてきてよかった。
これからも、きっと私は同じ道を歩く。
同じ空を見て、
同じ木々を見て、
同じ風に吹かれる。
それでも、同じ朝は二度とない。
私の心も、昨日と同じではないから。
何も持たず、
心を開いて歩いていこう。
そして出逢ったものを、またひとつ、
心の奥へ染み込ませていこう。
無一物中無尽蔵。
何もないその場所から、
また今日の新しい物語が始まっていく。
心に染み込む朝✨
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