部屋を出ると、
最近はいつも、
名前を取り戻した木と
名前を知った木を見上げる。
今日も二本とも機嫌がよさそうだった。
ウォーミングアップをしながら空を見上げる。
真っ白なキャンバスには、
薄いグレーの雲が幾層にも
重なるように広がっていた。
ああ、そうか。
昨夜はまで心に描いてきた
鮮やかな世界の色が、
花びらが土へ還るように心へ染み込み、
こんな色になって残っているのかもしれない。
心へ帰り、心に染み込み、
それがまた私を磨く養分になっていく。
そう考えていると、風さんがやってきた。
「風さん、おはよう。
今日はなんだか頭が動かないの。
言葉もあまり出てこないわ」
昨夜は書くことがたくさんあり、
日記を立て続けに書いた。
私は本当は、一つの世界が閉じるたび、
その余韻の中で
ゆっくり書くのが好きなのだ。
朝の街を歩く。
これから仕事へ向かう人もいれば、
長い夜を終えて帰っていく人もいる。
行く人は静かに駅へ向かい、
帰る人はまだ楽しそうに
昨夜の続きを話している。
同じ朝なのに、
始まりの人と終わりの人がいる。
季節が移ろうように、
一日にもこんな境目が
あるのだと思うと面白かった。
いつもとは少し違う道へ入り、
街路樹を眺めながら歩いた。
サトザクラ。横へ大きく枝を広げた木。
歩くたび、ホテルを往復するたび、
私の心の中の空色の手帳には、
木や草花の名前が
少しずつ書き加えられていく。
全部覚えなくてもいい。
一つ、二つ、三つ。
それだけでも、ただの景色だったものが、
少しずつ名前を持った存在へ変わっていく。
雨がぽつぽつと降り始めた。
港へ近づくほど風は強くなり、
風に乗って海の香りが届いてきた。
そして海へ着いた。
強い風に水面が揺れ、
ビチャビチャと音を立てている。
その向こうに広がる空を魅つめた。
朝には薄いグレーだった雲が、
いつの間にか何かをかたどるような
姿になっていた。
アフロディーテが海から現れてくれたら。
そう思って魅ると、
その雲は本当に
アフロディーテのように魅えた。
そして、恋の色をまとった
あなたとの時間を思えば、
二人で肩を寄せ合い、
楽しそうに語り合っている姿にも魅えた。
今日一日はどんな世界になるのだろう。
そう思えば、
あなたの待つ部屋のドアへ向かい、
これから創る世界に
胸を膨らませて歩いている私自身にも魅えた。
その横には、なぜか風さんまでいた。
姿のない風さんが、
雲になって私の隣を歩いている。
そのとき、ふと思った。
アフロディーテが両手を差し出し、
その上に大切そうに捧げていたもの。
あれは、心の芽だったのではないだろうか。
愛を受け取り、
愛を与え、
大切に守りながら育てていく、
小さな心の芽。
今朝までに心へ染み込んだ
たくさんの色が養分となり、
そこから生まれた新しい芽を、
アフロディーテは
両手の上でそっと
守ってくれていたのかもしれない。
そう思うと、
私の心の中にも
アフロディーテがいるような気がした。
そして、その両手に捧げられた小さな芽も、
私の心の中にある。
心が何を想うかによって、
同じ空も違って魅える。
現実の世界さえ、
心は良い方にも悪い方にも描き変えてしまう。
ならば私は、
いつも心の中にアフロディーテを抱き、
その小さな芽を大切に育てながら
歩いていきたい。
大さん橋へ進んでいくと、
アフロディーテの姿をしていた雲は
いつの間にか消えていた。
けれど、その代わりに、
朝には幾層にも重なっていた
薄いグレーがなめらかな空へ変わり、
その中に
一筋のピンクゴールドの光が差していた。
ああ。アフロディーテは
消えたのではなかった。
光になったのだ。
心の芽を育てる、愛という名の一筋の光に。
その上には、
ふわふわとした雲がいくつも浮かんでいる。
今日はあの一つ一つの雲の中に、
どんな世界が映し出されるのだろう。
どんな未来が待っているのだろう。
そう思うと、
どんよりしていたはずの曇り空まで
輝いて魅えた。
風さんがまた私の前から吹いてきた。
「戻ってきてくれたのね」
「今日は仲間がいっぱいいるからね。
それに、あなたの心が動いているから、
風も一緒に舞っているんだよ」
もしかすると風さんも、
私の心が創り出した存在なのかもしれない。
そして私が魅た世界を風で包み、
また心の中へ戻してくれている。
だから風さんは、
いつも私の心を知っているのだ。
心のサンクチュアリへ続く一本道。
前から吹いてくる風が雨粒をさらい、
私の心にも静かな潤いを与えてくれる。
水があり、養分があり、そして光がある。
私の心に生まれた小さな芽には、
育っていくためのものが、
もうこんなにもそろっていた。
海の向こうから、
風は何も言わず、ただただ吹いていた。
なんだか、愛されたような気がした。
美しい心で、
愛という名のもとに、
いろんなものを魅つめていこう。
そして、あなたを魅つめよう。
心の芽を大切に育てながら、
今日もまた私の心で創っていこう。
色づく世界を。
アフロディーテが捧げた心の芽✨
勃つねで応援-
-
共有で応援