ランチを食べていた頃から、
ずっと頭の中に描いた世界に
身を置いていたような気がする。

だから外へ出た瞬間、
まるで半日ぶりに現実の世界へ
戻ってきたようだった。
昼間の暑さを忘れさせてくれる、
少し涼しげな柔らかな風。

熱々になった頭の中を、
風さんがさーっと撫でて冷ましてくれる。
空を見上げた。
平べったい大きな雲が三つ。
その間を、
小さな雲たちがランダムに連なりながら、
うまい具合に隙間を埋めている。

あら、面白い。
さっきまで私がやっていたことと同じだ。
データの中に見つけた小さな抜け穴を、
一つひとつ見つけては埋めていった私。
その目で空を見上げたから、
雲までが最後の仕上げをしているように
魅えたのだろう。

きっと別の人が見れば、ただの雲。
でも私には、
今日だからこそ魅える空だった。

そんなふうに、
心が勝手に風景へ
物語を描いてくれることが楽しい。
しかも今日は、ばっちり完成した後だもの。

私の目に映る空まで、
いつもより完成度が高く、
鮮やかで、美しい。
まるで芸術作品みたい。

……なんて、また言ってるわ。
さて。外の空気で頭も冷えた。
今度こそ地下へ降りよう。
いざ、デパ地下へ。

頭の中ではすでに
「二枚目の設計図」が完成している。
まずは野菜売り場へ直行。
お目当ては松茸。
並んでいたのは中国産。
六本ほど入ったもの、
三本入りのもの、
傘が開いた二本組、
そしてスライスされたもの。

せっかく秋を先取りするのだから、
ここは少し奮発しよう。
清水の舞台から、えいっ。
選んだのは、形の整った三本入り。
籠へ入れて眺めていると、
まだ香るはずもないのに、
もう私には秋の香りがするような気がした。

そこで紫ずきんも発見。これは予定外。
でも、これも秋。茹でたてを食べたい。
一袋、追加。
魚売り場へ向かいかけて、
「あ、すだち」と引き返す。
二個入りなのに、なかなか立派なお値段。
徳島のお土産なら、
もっといっぱい入っていそうなのに。
まあ、致し方ない。

蛤は大きなものを四つ。
鱧の炙りも迷わず選ぶ。
そして忘れてはいけない、秋刀魚。
「新物」の文字の下には、
北海道産の大ぶりな秋刀魚が
美しく銀色に光っていた。
これだ。
まだ焼いてもいないのに、
私の鼻にはもう、
秋刀魚を焼くあの香りまで届いている。

こうして、頭の中で何度も予行演習した
デパ地下巡回は、ほぼ設計図どおり。
所要時間、およそ十分。
急いで家へ戻った。

まず松茸ご飯を炊飯器へ。
秋刀魚を下ごしらえして塩を振る。
蛤のお吸い物を作り、器を用意する。
残りの松茸は食べる直前に
焼けるように準備しておく。
順調、順調。
そうだ。今のうちに大根おろしも。
半分買ってきた大根を手にして――

止まった。……あれ?大根おろし器がない。
記憶を遡る。
そうだ。
お気に入りだったセラミックのおろし器、
手を滑らせて床に落として割ったんだった。
また買おうと思って――
忘れていた。
ほかのものは?そうだ。
セラミックが一番使いやすいからって、
安いものは全部処分したんだった。
スライサーまで手に取り、
どこかにおろし金機能が隠れていないか
眺めてみる。
……ない。当たり前だ。
スライス専用なのだから。

仕事の抜け穴は全部埋めたのに、
まさか家に帰ってから、
こんな大きな抜け穴が待っているとは。
仕方がない。再びデパートへ走る。
その前に、
炊き上がる少し前の炊飯器から
漂い始めた松茸の香りを、ひと嗅ぎ。
ああ、いい香り。

でも今は浸っている場合ではない。
普段ほとんど用事のない
家庭用品売り場へ行き、
店員さんに場所を聞いて一直線。
今度は迷わない。
力いらずでおろせる、おろし器。
よし。また走って家へ戻った。

ドアを開けた瞬間、
今度は本物の松茸の香りが迎えてくれた。
ああ、我が家が秋の香りでいっぱいだ。

そこからはスピード勝負。
おろして、おろして、擦りまくる。
秋刀魚を焼き上げ、松茸を焼く。
鱧の炙りを盛りつけ、
料理を一つずつ食卓へ運んでいく。
並べるたびに、
テーブルの上へ少しずつ秋がやってくる。

今日は汁椀も特別。
少し大きめの木の椀に、大きな蛤を二つ。
新物のわかめ、
そしてアクセントに松茸のスライスを少し。
最後に、焼き上がった松茸を食卓に添える。
これで完成。

家族を呼んだ。
「ああ、もうテーブルの上は秋ね」
嬉しそうな声がした。
そう。秋の気配。
でもね、
夏の名残りも少しだけ残してあるのよ。
それが鱧。

紫ずきんもおいしい。
秋刀魚もうまく焼けた。
松茸の香りも食卓いっぱいに広がっている。
夏がまだ少しだけ席に残っている、
その隣へ、秋がそっと腰掛けた。

夏の名残りと、秋の訪れ。
いいな。
これは毎年の恒例行事にしたい。

そしてきっと、
この季節の境目は食卓だけではない。
明日の空にも、
風にも、
木々にも、
街の色にも、
夏の名残りと秋の訪れが
そっと同居しているはずだ。
また明日から、それを一つずつ拾っていこう。

けれど今日、いちばん嬉しかったもの。
それは松茸でも、秋刀魚でもなかった。
料理を前にした家族の笑顔と、
同じ食卓を囲む温かな時間だった。

旬の食材には、
そのときだけの美味しさがある。
でも、家族と囲む食卓の温かさには、
きっと旬なんてない。
毎日が旬。
そう思ったら、
目の前の食卓がもう一度、
少しだけ美しく魅えた。